イメージ、それでもなお の商品レビュー
反論者の挑発的な物言いに刺激されてか著者はかなりムキになっており、反論者の論旨があまりにも杜撰なのも著者の牽強付会が少なからずあるのではと疑いたくなってしまうほどではあるけれども、それはさておき、第一部のイメージに対する歴史的資料としての扱い、第二部の「すべてのイメージ」なるもの...
反論者の挑発的な物言いに刺激されてか著者はかなりムキになっており、反論者の論旨があまりにも杜撰なのも著者の牽強付会が少なからずあるのではと疑いたくなってしまうほどではあるけれども、それはさておき、第一部のイメージに対する歴史的資料としての扱い、第二部の「すべてのイメージ」なるものに抗したイメージの役割り、いずれも自身がとりわけ写真を、その指示するところの内容においてのみ、それも単一の静的なものとしてとらえてきたことを反省するきっかけをあたえてくれた。攻撃的な文体が疲れるのですこし気の引けるところがあるものの、また読みかえしたいとは思う。
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アウシュビッツでは写真現像所が2つも機能していた。処刑や拷問、あるいは黒焦げの死体の写真はSS自らが現像し焼き付けした。より小型の第二現像所は「中央建設局」に属していた。1941年の末あるいは1942年の初頭に作られたこの現像所を指揮していたのはSSのディートリヒ・カーマンであり...
アウシュビッツでは写真現像所が2つも機能していた。処刑や拷問、あるいは黒焦げの死体の写真はSS自らが現像し焼き付けした。より小型の第二現像所は「中央建設局」に属していた。1941年の末あるいは1942年の初頭に作られたこの現像所を指揮していたのはSSのディートリヒ・カーマンであり、彼の手により収容所の私設に関する写真アールシヴが出来上がった。メンゲレとその手下がアウシュビッツで行った実験の医学画像集などは戦争末期、ナチスが自分たちのアルシーヴを残らず大量に燃やした時、この苦役をになう奴隷として使われた囚人たちは混乱に乗じて、できるだけ多くのイメージを流用、隠蔽、散逸させて、救い出した。アウシュビッツの資料が組織的に破壊を受けたにも関わらず、およそ4万枚の写真が今日まで残っているということは、収容所が機能していた時代にファイルを埋め尽くしていた画像が、どれだけ膨大であったかが伺える 。
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