知ってる古文の知らない魅力 の商品レビュー
日本の古典は、過去の古典をリスペクトするからこそ、引用したり、真似たりしている。そして、そこに自分なりのオリジナリティを加えて、次の世に継いでいる。 当時の知識人は、古典の内容が常識的にであればこそ、自分が生きた当代の新しい書物を読む際の解像度が上がったのであろう。
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?-2024/8/30. 「古文」と言われると抵抗があるかもしれないけれど、古典の有名どころの文章の解説なので、導入にはとてもよい。私はやっぱり平家物語が好きだなぁ。 「真の個性とは、共同性に寄り添おうとする中でも、どうしても寄り添えずにいるものです。」186
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はじめにで「徒然草」の冒頭文を取り上げ、この誰でも知っている一文が、実は吉田兼好のオリジナルな文章ではないことをいくつかのこの文に先行する一文をあげながら示す。これは面白い。目から鱗が落ちた気がして、思わず購入! 取り上げられた古典は、「源氏物語」「平家物語」「枕草子」「おく...
はじめにで「徒然草」の冒頭文を取り上げ、この誰でも知っている一文が、実は吉田兼好のオリジナルな文章ではないことをいくつかのこの文に先行する一文をあげながら示す。これは面白い。目から鱗が落ちた気がして、思わず購入! 取り上げられた古典は、「源氏物語」「平家物語」「枕草子」「おくのほそ道」「竹取物語」「伊勢物語」いずれも良く知られた一文を手掛かりに考察を進めている。 日本の文学は、古くから、先行する文や歌をうまく取り込んで、参考にしながらも新しい意味を加味するということが非常に好まれる傾向にある。「本歌取り」といったものはその最たるものなのであろう。 確かに、古くから知られた筋立てを上手く物語の中に取り入れた作品というのは、普通の物語よりも一層深みを感じる所があるし、それに気づいたときの嬉しさを感じることが醍醐味の一つではある。 小説ではないが、今、テレビで放映されている大河ドラマ「光る君へ」を見ていると、源氏物語や枕草子、百人一首など王朝文学を彩る場面場面を上手くストーリーの中に取り入れていて、これは、源氏物語の若紫の場面をモチーフにしているに違いないなどと元ネタを見つけるのが視聴する楽しみの一つだったりする。 また、「枕草子」の清少納言が、これまでの伝統を踏まえつつ、新しい価値観を導入しているところなどはさもあらんと得心をした次第。 そういえば、「光る君へ」で清少納言の呼び方を、「せい」「しょうなごん」としてたのは新鮮だった。これまで何となく「せいしょうなごん」と続けて読んでたもんね。 それから、著者が、個性について、三十歳、四十歳になっておぼろげながら認識できるようになると書いてたが、納得。僕も50半ばになってようやく自分というものがわかるようになってきた気がする。 それなりに人生経験を得てはじめて見えてくるものも多くある。文学も若い時はわからないが歳を取って初めてわかる所もある。(若い時だからこその感受性もあるのだけどね。) 最近、テレビの影響もあるのだが、古典文学というものに興味を持つようになってきた。年輪を重ねてこその見えてきたものもある。ただ、基礎には、中学、高校で習った古典の知識があってこそではある。 ただ、心配なのは、中学や高校で古典などの授業が少なくなっているとのこと。古典不要論まで、したり顔で言うものもいる。 温故知新ではないが、こういった学びが教養の基礎になるのである。捨て去るにはもったいない。
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<目次> 第1章 『源氏物語』~女性たちのドラマ 第2章 『平家物語』~男性たちのドラマ 第3章 『枕草子』~自然を切り取る 第4章 『おくの細道』~漂泊する人生 第5章 『竹取物語』~伝承を乗り越えて 第6章 『伊勢物語』~小さな恋の物語 <内容> 学習院大学教授の大学での講義を基にした本。有名な作品もそれ以前の作品(中国のものを含む)に影響され、インスパイアされて作品が作られていることを解説している。
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久しぶりに非常に良い本を読みました。 共同性と個性を念頭に、有名な古典の冒頭が読み解かれています。 特に、竹取物語の章は、感動的でした。「月の世界よりも、苦しみや悲しみの存在する、この世界」に未練を感じるかぐや姫の感情。古典を大きな流れの視点から見てこそ気づく「感動のスイッチ」が...
久しぶりに非常に良い本を読みました。 共同性と個性を念頭に、有名な古典の冒頭が読み解かれています。 特に、竹取物語の章は、感動的でした。「月の世界よりも、苦しみや悲しみの存在する、この世界」に未練を感じるかぐや姫の感情。古典を大きな流れの視点から見てこそ気づく「感動のスイッチ」が印象的でした。 日本の古典について、他の本も読んでみたくなりました。
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徒然草序文はすべてオリジナルなわけではなく、「ものぐるほしけれ」に新しい価値があるという。作品表現の積み重ねが連鎖していくことの中に共同性と個性が生み出されていく古典のおもしろさについて書かれている。共同性に寄り添おうとする中でもどうしても寄り添えないものが文学における真の個性で...
徒然草序文はすべてオリジナルなわけではなく、「ものぐるほしけれ」に新しい価値があるという。作品表現の積み重ねが連鎖していくことの中に共同性と個性が生み出されていく古典のおもしろさについて書かれている。共同性に寄り添おうとする中でもどうしても寄り添えないものが文学における真の個性であるという主張に感銘を受ける。これは現代の文学にも通ずることであり、それこそが文学を読む者が求めているものだと思う。
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文学作品は全て、それ以前の作品からの影響をどこかに残す。特に古典では、先人の言葉を用いることで自己表現を豊かにしたり先人への敬意を表したりすることが当たり前に行われ、それが教養そのものでもあった。本書はその古典における言葉やストーリーの「共有性」に着目し、時代を超えて複数の作品...
文学作品は全て、それ以前の作品からの影響をどこかに残す。特に古典では、先人の言葉を用いることで自己表現を豊かにしたり先人への敬意を表したりすることが当たり前に行われ、それが教養そのものでもあった。本書はその古典における言葉やストーリーの「共有性」に着目し、時代を超えて複数の作品を貫く一本の軸、その連続性を明らかにし、古典の新たな魅力を引き出そうとする。これまで個々の作品の魅力を解説する入門書は多かったが、本書は『徒然草』『源氏物語』『伊勢物語』『平家物語』など作品の内部にある、人口に膾炙した表現やストーリー構造そのものにスポットを当て敷衍した立場から古文の魅力を伝えようとする新しい古典入門書である。 正直に言うと、「内容」という観点ではどう考えても現代小説の方が面白いに決まっている。古文の個々の作品の内容的魅力を見出すのには限界があるのではないか。おそらく本当に古文の魅力を引き出すためには別のアプローチが必要だし、内容以外のところに古文の深みがあるのだと思う。それを本書は明文化してくれた。ある一つの作品の一部の表現やストーリーを取り上げ、その影響が明らかに見られる作品部分を読む。そしてそれを時間軸に従い追っていけば、必ずや我々の生きる現代の文学へと繋がるはずだ。これにより「面白い現代小説と対極にあるつまらない古文」という認識を、「面白い現代小説の出発点である古文」という認識に変えることができるのではないか。 古文を教える教師の頭には、全ての文学は繋がっているという認識が漠然とはある。しかしそれを満足に伝えられている教師がいるか疑問だ。示せたとしても、扱う古文教材から一足とびに現代小説への影響を示すのが関の山ではないだろうか。しかしそれでは飛躍がありすぎ、ただの偶然の一致、もしくは同じジャンルに属すという認識に留まってしまう。それでは意味がない。完璧ではなくとも、子や孫などへの命の繋がりを示す血縁図のように、少しずつ時代を追った「文学縁図」が描けると、古文の新たな魅力、しかも古典作品の本質に少し迫った魅力が生徒に伝わるのではないだろうか。 古文教育の新たな、有効な切り口を提示してくれる貴重な一冊である。
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「古典文学における共同性と個性」をテーマに書かれた話。大まかな内容としては各古典文学における「共同性」(源氏物語と長恨歌のような)と「個性」(その個性は度々後世の物語に影響を与える)を紹介したもの。一番面白かったのは「竹取物語」の話で、かぐや姫や一寸法師のような極端に小さい人というのは「神の遣い」の象徴なのだそうです。また、物語のいでき始めの祖ということもあって物語の要素(天人女房、結婚難題)は後世の文学に多大なる影響を与えたそうです。これに関しては古典に限らず今の文学にも関係しているんじゃないでしょうか。また、「伊勢物語」の魅力は恋のスリルや男の行動力、そして王朝の雅、神秘性にあるそうです。なるほど、と思わされる本でした。
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『源氏物語』『平家物語』『竹取物語』などの入門書。勉強になるわー。「あやしがりて、寄りて見るに、筒の中光りた~~~~り~~~~!」
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すぐれた文学作品は、後代の表現の形成に影響を及ぼす。 当たり前のように思えるけどそれを1000年とか長いスパンで考えて丁寧に見ていくと言うのは、自分ではなかなかできないことだから面白かったなあ。私たちが「古典」と読んでいる作品たち、「古典=古いもの」として現代のものから切り離しち...
すぐれた文学作品は、後代の表現の形成に影響を及ぼす。 当たり前のように思えるけどそれを1000年とか長いスパンで考えて丁寧に見ていくと言うのは、自分ではなかなかできないことだから面白かったなあ。私たちが「古典」と読んでいる作品たち、「古典=古いもの」として現代のものから切り離しちゃうのはもったいないとも思わされた。同じ線上にあるんだから。
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