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九鬼周造の哲学 の商品レビュー

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2011/08/11

これまで九鬼周造の哲学は、普遍性・必然性を追求する西洋哲学に対して、個物性・偶然性を強調する伝統的な東洋の思想を受け継いだ独自の哲学と見られがちであった。だが著者は、こうした西洋と東洋を対比する安易な図式に九鬼の哲学を押し込めるべきではないと主張する。 古代ギリシアに始まる西洋...

これまで九鬼周造の哲学は、普遍性・必然性を追求する西洋哲学に対して、個物性・偶然性を強調する伝統的な東洋の思想を受け継いだ独自の哲学と見られがちであった。だが著者は、こうした西洋と東洋を対比する安易な図式に九鬼の哲学を押し込めるべきではないと主張する。 古代ギリシアに始まる西洋哲学の中心であった「存在論」には、純粋にして一なる「イデア」を原理とするプラトンのような立場と、それを批判して、具体的な個物に注目し、生成消滅する世界のありように目を向けるアリストテレスの立場がある。だが、アリストテレスの「存在論」でさえも、「無」が問題とされることはなかった。九鬼の哲学は、そうした西洋哲学の根本的な問題に対して、光がその裏面に影をもつように、「存在」の背後には「無」が張り付いているという立場を採る。著者は、そうした九鬼の哲学を「存在・無・論」(Onto-mehonto-logie)、あるいは「メタ・形而上学」(Meta-metaphysik)と呼んでいる。 九鬼は論文「形而上学的時間」の中で、時間が無限に回帰するという円環的時間についての考察をおこなっている。円環的時間の中では、私が体験している今この瞬間に、すでに無限に出会ったことがあり、これからも無限に出会い続けることになる。そこには、現在の一瞬の内に、無限の深みを秘めたものとして受け取り、この瞬間をいつくしむような発想が生きている。 九鬼の主著『偶然性の問題』は、「偶然性は必然性の否定である」という言葉に始まり、結論では「偶然性は必然性の他在である」という言葉が述べられている。「他在」とは裏面ということを意味している。つまり九鬼は、この世界を必然性と偶然性とが絡み合うものとして理解していたのだということができる。 私が、いま、このようなあり方をしていることには、必ず原因や理由がある。私がこの私であることは必然的であった。だが、その原因や理由をどれだけ遡及していっても、この世界がそうした帰結をもたらすような世界なければならなかった理由は見いだせない。この現実は、神が戯れにサイコロを振るように、たまたまこのようなあり方をしているのであり、その無目的な遊戯の結果を私たちは「運命」として引き受けなければならない。私がこの私でなければならない理由はどこにもないが、気がついたときには、世界は、そしてこの私、このように存在してしまっていた。そのような世界と私の存在を、「運命」として引き受けいつくしむという発想が、九鬼の思索の中で追求されてきたことを、著者は明らかにしている。

Posted byブクログ