終わりなき日常を生きろ の商品レビュー
1995.3の地下鉄サリン事件の4ヶ月後、雑誌やテレビや新聞での論説・対談の締めくくりとして出版。善悪が自明でない、すべてが条件や文脈次第で評価される複雑な世界で、相対的に問題なく生きる知恵がないと、現実の複雑さを覆い隠すファンタジーの中で他人を傷つけることになる。 世紀末、2...
1995.3の地下鉄サリン事件の4ヶ月後、雑誌やテレビや新聞での論説・対談の締めくくりとして出版。善悪が自明でない、すべてが条件や文脈次第で評価される複雑な世界で、相対的に問題なく生きる知恵がないと、現実の複雑さを覆い隠すファンタジーの中で他人を傷つけることになる。 世紀末、2000年問題、北斗の拳・ナウシカ・AKIRAなどでハルマゲドン後の世界が描かれた時代。まず、連合赤軍事件が連想された時代の事だったのでした。
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1990年代初頭。高度経済成長が日本人の生活を豊かにしてくれた一方、社会は一定の成熟を迎え、「終わりなき日常」とも呼ばれるある程度完成した未来が到来した。 その一方、冷戦なバブル景気の崩壊により、かつて信じられてきた価値観が崩壊、「終わりなき日常」に違和感を感じる人々が増えつつ...
1990年代初頭。高度経済成長が日本人の生活を豊かにしてくれた一方、社会は一定の成熟を迎え、「終わりなき日常」とも呼ばれるある程度完成した未来が到来した。 その一方、冷戦なバブル景気の崩壊により、かつて信じられてきた価値観が崩壊、「終わりなき日常」に違和感を感じる人々が増えつつある。 「終わりなき日常」に疑問を抱き、世界を破壊し新たな世界を作ることで「核戦争後の共同性」を夢見たオウム真理教。 そして核戦争は、地下鉄サリン事件という虐殺に形を変え勃発、しかしそれはただの虐殺でしかなかった…。 と、大体こんな感じの要旨の本。 初版は1995年と古い本だが、「日常への違和感と発散」という意味では、現代のインターネット文化にもけっこう通じるものがあるんじゃないかな、とか思ったりした。 さらに、「核戦争」こそ発生しなかったものの、東日本大震災と福島第一原発事故は東北地方に住む人々の生活を大きく揺るがし、既存の社会に対する強烈な問題提起を呼びつつある。 だが一方で、日本の多くの地域では「終わりなき日常」がゆるやかに残存、成熟した古いシステムがいまなお生き続け、変わらぬ日常を過ごす人々も少なくない。 「終わりなき日常」と「核戦争後の共同性」の併存は、核の脅威が日本を確かに覆ったことにより、より明確な輪郭を結びつつある。そんな世の中を再考する助けとなるかもしれない17年前の本。
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ブックオフにて100円で購入の今さら本。 良心的存在でありたいのに、何がよきことかわからない。 複雑になりすぎた社会の中で、「終わりなき日常」を生きるための知恵こそが今必要である。 ぼんやりと薄ぼけた自分でも行き続けられるような知恵こそが今必要。的な内容をざっくりと。
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オウム話が盛り上がった時に書かれたので、サブタイトルがこんななってますが、そういうの無しでも全然読める。 世紀末思想を斜め上からのぞいてみたい人へ。
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