見えない震災 の商品レビュー
2005年11月に姉歯秀次によるマンション耐震強度偽装事件が発覚した当時、大学の研究室に籍を置いていた私は、建築業界が音を立てて変化していく様子を間近に見ていた。本書は、かの事件を受けて2006年9月に出版されている。編者である五十嵐太郎氏は、東北大学で建築学を教える学者。そして...
2005年11月に姉歯秀次によるマンション耐震強度偽装事件が発覚した当時、大学の研究室に籍を置いていた私は、建築業界が音を立てて変化していく様子を間近に見ていた。本書は、かの事件を受けて2006年9月に出版されている。編者である五十嵐太郎氏は、東北大学で建築学を教える学者。そして、金箱温春氏、青木茂氏、竹内昌義氏等9名の建築設計の実務者、実践者や学者等が論文を連ねる。 本書のタイトルでもある「見えない震災」とは何か。それは決して、事件の顛末を追いかけ、事件関係者を断罪する、といった簡単な、あるいは表層的な、犯人探しではない。「本稿では誰が悪者なのかではなく、耐震性能をめぐる不安について述べたい。」(p.5)と書いている。その上で、当時の世間の空気の根底にあったのは、「とくにメディアで注目されたのは偽装によってどれくらい弱くなったかではなく、基準を下まわり、法律に違反していることだった。」(p.9)ではなかったか。そして、「スクラップ・アンド・ビルドの促進こそは、戦後日本における静かな震災ではないか。すなわち、高度経済成長期からバブル期まで続く、激しい建設のサイクルは、戦後最大の都市破壊でもあった。空襲や震災にも耐えた近代建築の多くは、開発の波に飲まれて消えている。戦火を逃れた帝国ホテルもー九六〇年代に解体された。おそらく原爆ドームも、被災してモニュメント化していなければ、間違いなく壊されていただろう。」(p.10)、「本稿の冒頭に「実際の地震ではない」と書いたが、結果的に実際の地震と同様の事態が進行している。結局、住人が居場所を失い、難民化しているからだ。耐震性能が弱いとわかっているマンションにあえて住み続けるという選択肢は許されない。」(p.13)として、本書の表題ともなっている編者の意図が表意される。 このような世間の空気を裏付けるため、偽装マンションやその近隣の住人、さらには為政者による、時代から脅迫されたかのような言動を紹介している。それら耐震基準を下回るマンションにヒステリックな空気に対して、「これまでは震災後にクローズアップされていた既存不適格の地域や老朽化した建築開発が、前倒しで問題とされる可能性につながるのではないか。過剰な予防論理は,都市改造を要求するために、まだ使用可能な建築の大量破壊を導き、人為的な地震として機能する。セキュリティのハードルを上げれば上げるほど、壊すべき建築のリストが増えていく。震災を恐れるがあまりに、みずから行使される地震という逆説。」(p.24)と警告している。そして、専門家の観点からは「元都庁専門副参事(構造担当)の春原匡利は、耐震強度指標値〇・五未満のマンションが震度五強で倒壊すると断言できないとし、国の示す判断基準には工学的判断により計算の致値が動くこと、またその数値を下回ったからといって実際の建物が必ず倒壊するわけではないことを指摘しつつ、異例の早きで強制退去に追い込んだことを批判する。」(p.25)といった冷静な見方があったことを紹介する。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
耐震偽装事件のとき、国や社会のレベルでの、その事態の収束の仕方に妙な居心地の悪さを覚えた。それは構造計算という建築基準法が規定する制度=フィクションを現実としての安全性に直接リンクさせることの危うさと、住民を強制退去させ建物を取り壊すという、余りに割り切りすぎた対応策の強硬性とのアンバランスさであったと、今振り返れば言えるのかもしれない。 構造計算というもののフィクショナルな性格について、その歴史や現行法制の瑕疵等も含め包括的に考察できる一冊。
Posted by
建築を切り口に、これほど明快に日本の社会(そして個人が)直面している問題に切り込んだ本は稀有である。建築に関わる人には是非とも読んで欲しい1冊であると同時に、多くの人々に読んでもらいたい1冊。 10人の建築家、構造家、都市計画家、建築史家による論文集ですが、どれも専門的な知識が...
建築を切り口に、これほど明快に日本の社会(そして個人が)直面している問題に切り込んだ本は稀有である。建築に関わる人には是非とも読んで欲しい1冊であると同時に、多くの人々に読んでもらいたい1冊。 10人の建築家、構造家、都市計画家、建築史家による論文集ですが、どれも専門的な知識が無くても理解できる内容になっています。(多くの一般の方に読んで欲しいという著者・編者の想いが感じられます) 阪神淡路大震災以後、そして姉歯事件や9.11以降の日本の建築・社会に投げかけられた、建物の耐震性に代表される「安全・安心」の問題は、マスコミのセンセーショナルな報道によって瞬間的に沸騰し、それに比例するようにあっという間に忘れ去られようとしています。 しかしながら、地震は将来必ず起こるし、姉歯物件よりも耐震性能の劣る「既存不適格」物件は星の数ほど存在しているという、その事実が忘却され、「思考停止状態」になっているのではないか。建築に携わる人間はそのことに自覚的に関わり、社会に対して働きかけなければならないのではないか。そして日本に住む人々もまたそのような潜在的な危険に自覚的に振舞う必要がある、というのがこの著作の基底に流れている思想だと思います。 私自身、阪神淡路大震災と福岡市西方沖地震の2つの大地震を体験し、建築の設計に関わる人間ですが、上記のような問題意識を常に意識の最前面に抱いている訳ではありません。穏やかな日常は過去の異常な状態を忘れさせてしまうものなのだと思います。 だからこそ、このような著作の存在意義があるのだと思えるのです。 お薦めの一冊です。
Posted by
- 1