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昭和出版残侠伝 の商品レビュー

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2011/08/15

舞台になった東急池上線の長原駅には個人的に思い出がある、大学を出て就職した会社の寮の最寄り駅がこの長原駅だったので、懐かしく読んだ。嵐山氏の若い頃、此処の駅の周りで活躍していたのかと思うと何だか感慨深い。

Posted byブクログ

2011/08/19

1980年から1982年。雑誌創刊ラッシュ前夜。老舗出版社平凡社を辞めた著者は夜桜の咲く井の頭公園の池上に白い蒸気が立ちのぼり「仁義礼編集屋兄弟」の八字を刻した霊玉が八方に飛び散るのを見た(気がした)経営危機に陥った平凡社が希望退職者を募り、詰腹を切らされる立場となったのが常務取...

1980年から1982年。雑誌創刊ラッシュ前夜。老舗出版社平凡社を辞めた著者は夜桜の咲く井の頭公園の池上に白い蒸気が立ちのぼり「仁義礼編集屋兄弟」の八字を刻した霊玉が八方に飛び散るのを見た(気がした)経営危機に陥った平凡社が希望退職者を募り、詰腹を切らされる立場となったのが常務取締役だった馬場編集局長、通称ババボス。ババボスの下、大いに発行部数を伸ばしていた「太陽」「別冊太陽」の編集長だった著者、及びその編集部にいた多くが馬場氏と共に平凡社を去った。実に、十七名居た太陽編集部員のうち十一名が退職届を出したというのだ。退社したババボス以下七名が結集し、学研がサポートするもとで「青人社」を立ち上げ、かくて「面白至上主義」とも言える新雑誌「ドリブ」発行へ。時はバブル前夜。ビートたけしがブレークし、タモリがデビュー。篠原勝之・南信坊・渡辺和博が評判になり、唐十郎が、尾辻克彦が芥川賞を、そして村松友視が直木賞をとる。向田邦子が亡くなり、羽田沖に日航機が落ちた。そんな時期の疾風怒濤悪戦苦闘の日々を描いた実録風雲伝である。疾風怒濤悪戦苦闘といいながらも本文は淡々とした語り口でその時あった事件事故と著者自身の周辺事情とそして雑誌「ドリブ」の編集企画についてが描かれる。本来は教養路線の本を出したかったババボスの下、集まった編集者達は「金と女と上司の悪口」を基本線に据えた「面白ければ何でもいい」雑誌作りに燃えた。雑誌は時代の波に乗り、編集長が変わるたびに部数も伸ばし七人から始まった青人社は六十人を超えるまでになる。「ババボスについて書いておかねば」という思いのこもった一冊。

Posted byブクログ