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扉を開けて の商品レビュー

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2014/02/04

2011.03.07- はじめの発言 古田足日 1931年(昭和6年) 日本帝国は中国の東北部を侵略する満州事変を起こした。 1937年(昭和12年) 中国全土への侵略戦争を始める。 1941年 太平洋戦争始まる。 1945年 広島・長崎への原爆投下 日本帝国は連合国に降伏した。...

2011.03.07- はじめの発言 古田足日 1931年(昭和6年) 日本帝国は中国の東北部を侵略する満州事変を起こした。 1937年(昭和12年) 中国全土への侵略戦争を始める。 1941年 太平洋戦争始まる。 1945年 広島・長崎への原爆投下 日本帝国は連合国に降伏した。 子どものとき、なぜぼくは家を焼かれ、こわされた中国の子どもたちのことを想像できなかったのか。 「死んでもいわない」白川タクト 2001年から始まったアメリカとアフガニスタンの戦争で、アフガニスタンの小さな村の子どもたちが死んだはなし。 大人達は政府の偉い人達がアメリカという国を怒らせたため、世界中が自分たちの敵になった、と言っていた。政府の偉い人達は、アメリカでたくさんの人を殺した『テロリスト』をかばったうえに彼ら自身も兵隊を使ってひどいことをいっぱいしてきた、とアメリカから非難されているらしい。そして彼らを皆殺しにするための空襲を世界中のほとんどの国とほとんどの人が支持しているのだという。だから誰も自分たちを助けてはくれないのだと。大人達はひそひそとそんなことを話し合っていた。 ……カブールでは、敵に電波ジャックされたラジオから耳障りな声が洪水のように流れてきていた。野蛮、残虐、卑劣、血にうえたけだもの。自分たちのことをそういっていた。一方でこの国の民衆のことを、虐げられた、かわいそうな、救ってあげるべき存在、だと語っていた。なんにしろ彼らは彼らの好きなように話す。ちょうど空から爆弾を落とし、地上の人々の命も生活も好きなようにしてしまうのと同じように。 空襲の中で見たいくつもの光景が頭に浮かんだ。生き残った彼だけが知っていることもあった。若者が話さなければ、誰に知られることもなく消えてしまう記憶。だけど話すと言っても、誰に何を話せばいいというのか。話すに値する相手が世界のどこかにまだいるとでもいうのだろうか。彼の耳に聞こえるのは、ラジオからの不快な声と爆弾が炸裂する音ばかりだった。 「扉を開けて」守田美智子 帰国した中国残留孤児の家族 中国残留孤児が中国で差別を受けていたなんて知らなかった。 「マルコのサッカーボール」高橋うらら コソボ紛争 ユーゴスラビア バチカン半島 セルビア系とアルバニア系の民族対立 アルバニア系住民のコソボ解放軍 セルビア系の兵士による民族浄化 この日、多くのアルバニア人が難民になった。 アメリカを中心としたNATO(北大西洋条約機構)はこれを強く非難。市街地へ無差別の空襲を行い、多くの一般人が命を落とした。コソボ国内へ残っていたアルバニア人への迫害もひどくなった。セルビア側はしつこい空爆に負け、アルバニア人を追い出す戦争を止めると約束した。コソボからセルビア兵は去り、国際部隊(アメリカ、イギリス、フランスなど)がコソボに駐在して、セルビア人とアルバニア人の間に争いが起こらないか見張ることになった。アルバニア人の難民は故郷へ帰った。復讐を恐れたセルビア人は故郷を去り難民となった。 「原野の日」後藤竜二 「武佐中学校事件」 こんなことが本当にあったのか…。 「なぐさめの星」きどのりこ 戦争で死んだ子どもたちの魂を迎える星 おわりの発言 奥山恵 藤原帰一 国際政治学者 『「正しい戦争」は本当にあるのか――論理としての平和主義』 『マリー・キュリーが考えたこと』高木仁三郎 「原野の火」の中の警察やマスコミのあからさまな暴力はもちろん恐ろしい。「新しい憲法のはなし」の中のアニメの内容やニュースのコメンテイターたちの発言、憲法の時間の先生の言葉も、疑いなくかっこよくきっぱりしすぎていて、私にはさらに恐ろしい。世の中はそんなに単純なものではなく、善くも悪くも「複合体」です。アフガニスタンのジャンビーヤが拾った黄色い袋の食料も、どこかの食品工場で誰かが作ったものにちがいなく、ジャンビーヤを殺した黄色い缶も、どこかの兵器工場で誰かが作ったものに違いないのです。

Posted byブクログ