不鮮明の歴史 の商品レビュー
不鮮明な画像が流行することがある。現代も、それは増加傾向にある。 不鮮明な画像をあえて使うのはなぜか。19世紀の風景画から、20世紀の広告画像、ストックフォトまで、それには複雑な歴史的変遷があった。多くの事例から、不鮮明なイメージの担ってきた意味を考える。 「つまり不鮮明の歴...
不鮮明な画像が流行することがある。現代も、それは増加傾向にある。 不鮮明な画像をあえて使うのはなぜか。19世紀の風景画から、20世紀の広告画像、ストックフォトまで、それには複雑な歴史的変遷があった。多くの事例から、不鮮明なイメージの担ってきた意味を考える。 「つまり不鮮明の歴史とは、とりわけ権力移動の歴史なのだ。それはルサンチマンと防御の美学に始まって、勝利者の美学に行き着いた。だがそれは常に、排除のテクニックと結びついていた。世俗的なものの消去、平凡なものの拒否、可視的なものに対する不信から、何かの写しであることの拒否へ。情報の拒絶から刺激の最小化を経て、不完全なものすべての追放へ。排除のスペクトルはこれだけの広がりを持つ。つまり不鮮明の歴史は、その時何が主な不安や環状であったのかを概観する手がかりを与えてくれる。そんな不安や環状の一部は、これまでの2世紀に典型的なものである。だが別の一部——つまり聖像破壊的な次元——は、普遍的なものだとも言っていいだろう。」(pp.167-168) 巻末のまとめは抽象的にすぎるが、各章は具体例が列挙されながらすすむので、このまとめにひとつひとつピースを嵌めていくことは難しくない。 不鮮明なイメージを使うことが、ある種の排除のテクニックであるという主張は、昨今流行の不鮮明なイメージに、なにほどか世界の狭さや排他性を感じていた私には、腑に落ちるものだった。
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鮮明か不鮮明かは、部分へのこだわりの一つかもしれません。 不鮮明さを芸術の道具としようとした動きの説明がある。 歴史的な考察は、技術的な発展と連動していると見ることもできるかもしれない。 顕微鏡写真のように、微細なところに、別の美が存在していることが議論の俎上にのっていないような気がしました。 時代の制約かもしれません。
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