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名画座時代 の商品レビュー

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2023/06/21

この本に取り上げられている映画館のうち、行った記憶があるのは、飯田橋の佳作座。その後すぐに閉館してしまった。何を観たかがどうしても思い出せない。二本立ての一本は「ダーティハリー2」だったと思う。旧作の洋画が観られる名画座があった最後の時代。

Posted byブクログ

2013/03/08

シネコンがにぎわっているらしい。今までそんなに映画、映画と騒がなかった人が、けっこう通っているようだ。その一方で、市内に昔からある映画館がどんどん消えている。郊外型の大規模小売店の隆盛で商店街にシャッターを下ろした店が目立つようになるのと同じで、大量仕入れで客を惹きつけるシネコン...

シネコンがにぎわっているらしい。今までそんなに映画、映画と騒がなかった人が、けっこう通っているようだ。その一方で、市内に昔からある映画館がどんどん消えている。郊外型の大規模小売店の隆盛で商店街にシャッターを下ろした店が目立つようになるのと同じで、大量仕入れで客を惹きつけるシネコンに単館は太刀打ちできない。そんな映画館が生き残るためにはシネコンのやらない映画を掛ける必要がある。 かつて名画座というものがあった。ロ-ドショウ専門の大きな映画館や、ロ-ドショウ専門館で封切られた後、流れてくる映画を二番目、三番目に掛ける番線館と呼ばれる小屋でもない。館主のセンスで選ばれた独自のプログラムで興行する小さくてもキラリと光る映画館である。どの映画とどの映画を組み合わせるかが館主の腕の見せ所。珈琲一杯程度の値段で観られる低料金も学生には有り難かった。 大学時代を過ごした京都は、映画産業とは切っても切れない街だったから映画館の数は数え切れなかった。ロードショウ専門館にはなかなか行けないので、映画を見るのは二番館、三番館が多かったが、名画座にもよく通った。新京極にあったATG専門の名画座や、下宿近くにあった低料金の西陣キネマ、中でも圧倒的にエネルギッシュだったのは、やくざ映画や日活ロマンポルノの連続オールナイト上映が売りだった京一会館だ。監督や俳優が来場して挨拶やトークがあるのもよかった。 その京一会館をはじめ、北は北海道から南は沖縄まで、今はなき名画座を訪ね、関係者の話を聞いてまとめたもの。古い映画ファンにはたまらなく懐かしい映画館の写真、看板、プログラム等々、当時を思い出しすことのできる貴重な資料満載である。著者はどこを訪ねても「あなたにとってのベスト3は何ですか」という質問は欠かさない。人によって選ぶ映画はさまざまだが、映画オタクや映画マニアと呼ばれる人たちが選ぶ映画とはひと味ちがって、誰もが観たことのある映画であることが共通する。映画通を気どらないところがいい。 映画と聞けば思い出すのがあの大看板。写真でなく、人が描いた看板の迫力につられてふらふらと入ってしまった人もいるだろう。あの絵は誰の手で、どうやって描かれていたのか。その秘密にも迫る。あるいは『ニュー・シネマ・パラダイス』よろしくフィルム缶を運ぶ人の苦労話とか、この本の特長は館主だけでなく、絵看板を描く職人さんや、映写技師はもちろんのこと、売店の売り子さんまで、映画館に携わるすべての人の声を聞こうとしていることである。 それぞれ個性的な名画座が揃っている中で、広島の「サロンシネマ1」には驚かされた。左右の幅75センチ、前席との間隔が1メートル10センチという「日本一の客席」。各席にはテーブルもついて100席。こんな映画館でゆっくり好きな映画が観てみたいものだと思うのは評者だけではないらしい。全国に先駆けて広島で公開された『父と暮らせば』は、同時公開されたシネコンより「サロンシネマ」の方が客の入りがよかったという。消えていく名画座の多い中でこういう名画座もあるという、ちょっといい話。 ひとつ残念なのは、少し遅すぎたということ。どの映画館でも最も映画館が輝いていた時代を知る人がすでに亡くなられていた。もう少し早くこの企画を立ち上げていれば、それらの生き証人からもっと面白い話が聞けたことだろうに、と著者ならずとも惜しまれてならない。各章の扉に置かれた、映画の名科白に導かれ、今はない各地の名画座への旅を愉しまれたい。

Posted byブクログ