BC級戦犯裁判 の商品レビュー
広大なアジア太平洋で繰り広げられた戦争によって、日本軍が行ってきた行為は侵略に間違いはないであろう。アジア解放といった大義名分は何処へいったか一般市民、婦女子を殺戮・強姦などで恐怖に陥れ食料補給の考え方に乏しい(必ずしも考えなかったわけではなく、物資不足による事情がそうせざるを得...
広大なアジア太平洋で繰り広げられた戦争によって、日本軍が行ってきた行為は侵略に間違いはないであろう。アジア解放といった大義名分は何処へいったか一般市民、婦女子を殺戮・強姦などで恐怖に陥れ食料補給の考え方に乏しい(必ずしも考えなかったわけではなく、物資不足による事情がそうせざるを得なかった感も否めないが)日本軍は現地調達の名目で食糧の略奪や反抗する民衆に暴力を加えたりした。また日本軍の侵攻に邪魔になる様な密告者などスパイ容疑をかけて処刑し、時には民衆の見せしめにと残虐な方法での殺害を行なったのも事実であろう。規模の大きさでは南京虐殺やバターンの死の行進などが有名ではあるが、被害者の数が膨大になり現場で起こった事実と責任の所在はあやふやになってしまう。司令官などが纏めて責任を取らざるを得ないのは、現代社会における会社組織も同様である。突き詰めれば、担当者が会社の金を横領した場合なども上司の課長職のみならずそういった体質を作り上げた、もしくは発生を防止する措置を講じなかった部長や管掌役員、社長にまで責任が及ぶのと同じである。 本書を読み普段の自分の仕事の中で、見つめ直さなければならない箇所が幾つもある事に気付くし、見て見ぬ振りや面倒くさいといった感情に駆られる時でもそれを捨てて公共(会社)の利益を最優先する姿勢がなければまともな組織は維持できないことをよく理解できる。軍隊も会社も同じである。 本書に記載される通り、戦場の兵士である以前に1人の人間として善悪の基準と強い意思・精神力がなければ簡単に外道に堕ちる。ただ一つ間違いないのは戦場が日常とは比べ物にならない程、殺戮が起こりやすい異常な空間であること、それを維持し勝利するためには鬼神の様なあり得ない精神状態まで高めなければ、簡単に自分の命は失われてしまう状況にあることだ。命令拒否・不服従それ自体が自分を滅ぼす状況下において、果たして上官の命令に従わず目の前の民衆を生かす事ができたであろうか。やらねば自分が生きられない極限の世界。そう考えると、戦争そのものの勝利するという目標地点に向かう手段と選択肢が沢山ある中で、目の前の非人道的行為に手を染めてしまう兵士の心理状態は極限であり、簡単に「人として」と片付けられない。自分がその立場に居なければ、文字で伝わるだけの事柄に簡単に同情はできない。同情すべきは理由は何であれ殺されたり暴力を受けた側である事に違いない。だがその様な中でその場の異質な空気と静止の分かれ目に居なかった自分が誰が悪いと評価することも出来ない。その様な意味で戦争犯罪の裁判は極めて難しく、BC級となれば尚更である事が本書から痛いほど伝わってくる。
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2005年刊。著者は関東学院大学教授。タイトルどおりの書で対象国は米中英蘭仏豪等広範。個例提示の上坂冬子著と違い、全体的にマクロ的に分析。そこから浮かび上がるのは、巨視的には、各国の戦後政策が大きく影響している事実(例.米:対ソや占領政策の転換。英:植民地との融和政策から民衆虐待に力を。仏:印支半島の独立運動の弾圧のため民衆虐待は無関心。豪:食人被害のため厳格な対応。中:国共内戦の進展と中共の融和政策、国民党の対米配慮など)。訴因としての住民虐待の多さ。捕虜虐待が議論されがちな国内の論調との乖離である。 著者も自覚するが、個別事情は多様(国の違いだけでなく、裁判官の体験による差にも言及)、あるいは、直接手を下した人物が不利に扱われがちな上、逃げ得した人物(人定が困難なため)も多く、拘留・起訴に関する不公平感は否めない。無差別爆撃の等閑視、性犯罪の軽視等多くの限界をはらんでいた。が、例えば、被害者側からの情状証言があれば刑の軽減が図られていた(身内の有利な証言が信用されないのは証拠法上当然。なお身内の不利な証言は信用される)等、問答無用で科刑されたわけではない点もある。 想像よりも死刑割合が少、二等兵の死刑はない(ただし、著者は下級兵士の死刑には反対)点。戦犯死刑は否定されるべき点、国際的中立的制度の必要性など反面教師として後世の各種制度に与えた影響も指摘。PS.仏の植民地政策面での戦犯裁判は見受けない視点で良。日本の捕虜死亡割合が25%を越える一方、独の「英米」捕虜が7%(数字マジック有。ただソ・東欧捕虜を含まない指摘も有)、シベリア抑留が10%の死亡率は注目。「責任についての1919年委員会」(日/参加)で上官命令は抗弁足り得ないと決定。注意。
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戦犯裁判に関して,問題視する側も擁護する側も,どうしてこう極端なんだろう. この本は,裁く側を徹底的に「擁護」している.仮に,裁判側に問題があるようなことを書く場合においても「戦時中の蛮行を忘れてはいけない」等のコメントを多くの箇所につけ,読者の心証をコントロールしようとしてい...
戦犯裁判に関して,問題視する側も擁護する側も,どうしてこう極端なんだろう. この本は,裁く側を徹底的に「擁護」している.仮に,裁判側に問題があるようなことを書く場合においても「戦時中の蛮行を忘れてはいけない」等のコメントを多くの箇所につけ,読者の心証をコントロールしようとしている. 特にどちらの肩をもつわけではないが,上記のような書き方には良い印象がもてない.
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アジア太平洋戦争を受け、世界各地で行われた BC級戦犯裁判のおこりとその後、そして総括を行う一冊。 短いながらもよくまとめられている。 裁判そのものには確かに欠陥や不備もあったが、 A級戦犯とは違い我々と同じ普通の人間が犯した戦争犯罪に対し、 我々個々人が真摯に罪を認識することが...
アジア太平洋戦争を受け、世界各地で行われた BC級戦犯裁判のおこりとその後、そして総括を行う一冊。 短いながらもよくまとめられている。 裁判そのものには確かに欠陥や不備もあったが、 A級戦犯とは違い我々と同じ普通の人間が犯した戦争犯罪に対し、 我々個々人が真摯に罪を認識することが肝要と説く 筆者の主張は熱く、納得させられる。 また巣鴨プリズン内で戦犯が考え、行った自省の内容は 非常に興味深く感じられた。
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[ 内容 ] アジア太平洋戦争における残虐行為の命令者から実行者まで、およそ五七〇〇人が裁かれたBC級戦犯裁判。 その法廷では何が明らかにされ、どんな戦争犯罪が問われたのか。 被告はどんな人たちだったのか。 裁判所の創設から戦犯の釈放までを辿りつつ、八か国で実施された裁判の全貌を解明し、その現代的意義を考察する。 [ 目次 ] 序章 なぜ、いま戦犯裁判か 第1章 なぜ戦争犯罪が裁かれることになったのか 第2章 戦犯裁判はどう進んだか 第3章 八か国の法廷 第4章 裁かれた戦争犯罪 第5章 裁いた者と裁かれた者 第6章 裁判が終わって―戦犯の釈放 終章 BC級戦犯裁判とは何だったのか [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
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(2009.08.20読了) A級戦争犯罪:「平和に対する罪」東京裁判、ニュルンベルク裁判 B級戦争犯罪:「通例の戦争犯罪」(国際法で定められていた) C級戦争犯罪:「人道に対する罪」 ●BC級戦犯裁判(日経、2009年8月11日・朝刊) 連合国7カ国(米国、英国、オーストラリ...
(2009.08.20読了) A級戦争犯罪:「平和に対する罪」東京裁判、ニュルンベルク裁判 B級戦争犯罪:「通例の戦争犯罪」(国際法で定められていた) C級戦争犯罪:「人道に対する罪」 ●BC級戦犯裁判(日経、2009年8月11日・朝刊) 連合国7カ国(米国、英国、オーストラリア、フィリピン、フランス、オランダ、中華民国)により、1945年10月から1951年4月まで、アジア・太平洋の49カ所で行われた。総数は2244件、被告5700人。死刑判決が984人、無期・有期刑が約3400人、無罪が1018人だった。 この本は、BC級戦犯裁判の概説書です。 章立ては以下の通りです。 序章 なぜ、いま戦犯裁判か 第1章 なぜ戦争犯罪が裁かれることになったのか 第2章 戦犯裁判はどう進んだか 第3章 八か国の法廷(ソ連での裁判が追加されています) 第4章 裁かれた戦争犯罪 第5章 裁いた者と裁かれた者 第6章 裁判が終わって―戦犯の釈放 終章 BC級戦犯裁判とは何だったのか 戦犯裁判というのは、第二次大戦が終了した後に突然出てきた印象だったのですが、第二次大戦中から連合国内で準備が進められてきたのだそうです。 代表的裁判として「シンガポール華僑粛清事件」「石垣島米兵処刑事件」「中国人強制労働・花岡事件」の三つが紹介されています。 BC級戦犯裁判で裁かれた人たちの中に朝鮮人148人、台湾人173人が含まれています。戦争中は、日本人だったので、軍人、通訳、俘虜収容所の監視員として参加しています。したがって、日本人として裁かれたのですが、1952年に日本が独立を回復した時、日本政府は朝鮮人らから一方的に日本国籍を剥奪し、軍人恩給などの援護の提供を拒否しています。国際紛争への自衛隊派遣も大事かもしれませんが、太平洋戦争中の旧日本人への補償を行うことも大事なのではないでしょうか。 著者は、BC級戦犯裁判の意義を以下のように述べています。 「連合軍は、戦争犯罪人を裁判で処罰すると宣言することにより、そして実際に戦争犯罪を捜査し、容疑者を逮捕し、裁判にかけて処罰したことによって、民衆の怒りを抑えることができた。法による裁きとは、まず被害者による報復をやめさせるという効果を持つ。」 「戦争犯罪を国際社会によって犯罪と認定し裁いたことは、不十分ではあるがその後の国際社会の判断の基礎になった。」 著者 林 博史 1955年、神戸市生まれ 1985年、一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了 現在、関東学院大学教授 (2009年8月27日・記)
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戦後日本の平和観の問題は、戦犯裁判にあったのかもしれないと感じさせられた。権力とか暴力とか戦争とか、個人の力で立ち向かうことのできないような漠とした巨大なプレッシャーの中にあったとしても、個人の自立心を失ってはいけないし、友愛の精神を放棄してはいけないと、強く感じた。
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戦争責任について考える好著。BC級戦犯裁判というと、不当なものが多かったという評判があるが、その裁判は裁いた側の国の事情によりかなり違ったものであったし、裁判をしたことで被害者たちの怒りの矛先を避け、復讐による無用な血を流させなかったことは評価すべきだろう。そもそも兵と呼ばれる下...
戦争責任について考える好著。BC級戦犯裁判というと、不当なものが多かったという評判があるが、その裁判は裁いた側の国の事情によりかなり違ったものであったし、裁判をしたことで被害者たちの怒りの矛先を避け、復讐による無用な血を流させなかったことは評価すべきだろう。そもそも兵と呼ばれる下級の兵士が死刑になることはほとんどなかったという。一方731部隊とか日本の中国への爆撃はアメリカの都合で裁かれなかった。(つまり原爆投下も)やがて戦犯たちは釈放されるが、それは米ソ冷戦時代に日本を抱き込もうというアメリカの思惑があり、それにのったことで日本人はあたかも戦争責任はだれにもなかったかのように思いこんでしまうのである。
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