ぼくがイラクへ行った理由 の商品レビュー
著者、今井紀明(1985~)さんが、広く知られるようになった「イラク日本人人質事件」、どのような事件かというと、ウィキペディアには、次のように書かれています。 ---引用開始 イラク日本人人質事件(イラクにほんじんひとじちじけん)、イラク邦人人質事件(イラクほうじんひとじちじ...
著者、今井紀明(1985~)さんが、広く知られるようになった「イラク日本人人質事件」、どのような事件かというと、ウィキペディアには、次のように書かれています。 ---引用開始 イラク日本人人質事件(イラクにほんじんひとじちじけん)、イラク邦人人質事件(イラクほうじんひとじちじけん)は、外務省によるイラクへの渡航自粛勧告を無視し2003年のイラク戦争以降にイラク武装勢力によりイラクに入国した日本人が誘拐され、人質として拘束された事件。特に2004年4月に3名が誘拐され、イラクに駐留する自衛隊の撤退などを求められた後、唐突に解放された事件。 ---引用終了 その時の人質の一人が、今井紀明さんです。 その今井紀明さん、現在は、認定NPO法人D×Pの理事長として活躍されているようです。 で、本作の内容は、次のとおり。 ---引用開始 人質になった18歳は何を考え、何を学んだのか? 平和ボケの日本人に知ってほしかったこと、語られないイラク戦争の実状、深刻な劣化ウラン弾問題等を語る。「自己責任」という言葉を跳ね返せなかった日本中が試されている。 ---引用終了 なお、本作で、著者と対談をしている、広河隆一さんは、 ウィキペディアに、次のように書かれています。 ---引用開始 広河 隆一(ひろかわ りゅういち、1943年9月5日 - )は、日本のフォトジャーナリスト、市民活動家。フォトジャーナリズム月刊誌DAYS JAPANの元編集長、同誌発行の株式会社デイズジャパンの元代表取締役。有限会社広河隆一事務所元代表。日本中東学会、日本写真家協会、日本写真協会、日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)、日本ペンクラブなど元会員。チェルノブイリ子ども基金・元代表。認定NPO法人沖縄・球美の里元名誉理事長。 ---引用終了
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中学生の娘が学校の先生に薦められたもの。読んでみてよかったからと娘に薦められて読了。確かに、若者に薦めたい。ジャーナリストと名乗る人たちの初心はどこに?
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いろんな人がいるということを改めて実感させられた。 問題について、批判的に考えるだけではなくて、 建設的な意見、つまり提案、起案をすることが大切だと思った。 個人の差もあるから、ここまで行動的になれるかは別として、 いい部分をいくつか発見できた。 そのひとつとして、 したいこと、...
いろんな人がいるということを改めて実感させられた。 問題について、批判的に考えるだけではなくて、 建設的な意見、つまり提案、起案をすることが大切だと思った。 個人の差もあるから、ここまで行動的になれるかは別として、 いい部分をいくつか発見できた。 そのひとつとして、 したいこと、自分のやりたいことが見つけられた人は 受験勉強が必要なければそれでいいのかもしれないと思えた。 私は、そんなにしてないけど、勉強勉強の生き方の人だから、 違った生き方の人の考え方を知ることができてよかった。
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(2004.12.23読了)(2004.11.22購入) 人質事件のニュースを聞いた時は、高校卒業したばかりの子がなぜイラクに?と驚きと疑問が湧いたものでしたが、事件が解決しいつしか忘れてしまいました。 この本を本屋で見つけて、そういえばこの子は何を考えていたの?ということで読...
(2004.12.23読了)(2004.11.22購入) 人質事件のニュースを聞いた時は、高校卒業したばかりの子がなぜイラクに?と驚きと疑問が湧いたものでしたが、事件が解決しいつしか忘れてしまいました。 この本を本屋で見つけて、そういえばこの子は何を考えていたの?ということで読んでみることにしました。 「この本はぼくと近い10代や20代に読んでもらうこと、「社会的な関心を持って欲しい」ということのためにまとめた。」 フリー・ジャーナリストを目指して勉強中ということですが、思わぬ事件に巻き込まれたために自分のことを題材に本が出てしまったようです。この本の後にも「自己責任」(講談社、2004年8月)という本が出ているようです。 小学生の頃は、ゲーマーでテレビゲームばかりしていました。中学生になって、吹奏楽部に入り、生徒会もやるようになりました。楽器はチューバ。受験勉強は、あまりしていません。私立高校に入学しました。大学の受験勉強はいやだったし、無駄だと思っていました。高校受験直前の2001年1月に「NGO屋台村」というイベントに行って、NGOの存在を知ります。そこで、砂漠化や森林伐採など、いろいろな話を聞きます。「なんだか世界がまずい状況になっている」と純粋に感じました。そこで何かしなければいけないと思い、毎日ごみ拾い活動をすることに決めます。高校に入った時、昼食を食べないで、その分のお金を貯めることにしました。本代や活動費に使ったのです。一年生の秋には、9.11事件や米国のアフガニスタン侵攻があって、凄くショックでした。それがきっかけで、市民活動をやってみたいという気持ちが湧いてきました。二年生の時、近くのユニセフの支部でボランティアをすることにしました。ボランティアをしながらユニセフのビデオを見て、アフリカなどで自分と同じ年齢やもっと下の子供たちが、学校に行かずに働いていることを知りました。高校二年生の10月、研修旅行でベトナムへ行き、枯葉剤の被害を見てきました。(私立高校の修学旅行は海外へ行くところがあるとは聞いていたけど、こういうのもあるんですね。) 枯葉剤の被害をまのあたりにした数ヵ月後に、劣化ウラン弾について知ることになります。2003年1月にパソコンを買ってもらい、インターネットが利用できるようになりました。インターネットで環境問題などを検索したりするうちに、北海道内のいろいろな人に出会います。3月には、東京で開かれた第1回高校生環境フォーラムに参加し、「平和・文化・教育」というテーマの分科会で「開発からの自由と教育」というテーマで発表しました。 2003年4月に、平和運動家のきくちゆみさんが札幌で講演した時、劣化ウラン弾のことを初めて聞きました。劣化ウラン弾は後遺症が残ります。これは、人類と環境に対する犯罪です。8月に東京で第2回高校生環境フォーラムがあり、そこで劣化ウラン弾について、少しだけ話しました。12月、自衛隊のイラク派遣が決まってしまいました。8月に軍の派遣が決まったオランダでは、劣化ウラン弾による兵士の被爆が問題になっています。にもかかわらず、日本では全く取り上げられていないことに不安と疑問を感じました。派遣が決定する前に何とかこの問題を広く知らせようと、11月22日から毎日、全国の新聞社にFAX通信を送ることにしました。 2004年1月31日に佐藤真紀さんの講演会「イラクの子供たちは、今――劣化ウラン弾の影響」を開き、劣化ウラン弾の被害についての話を聞きました。2月13日には、東京で劣化ウラン弾廃絶キャンペーンの発足集会がありました。その前日のミーティングで、劣化ウラン弾の絵本を作れないかという話が出たときに、札幌グループがそれを引き受けました。絵本を作るためには、イラクの人たちの食べ物や服、風景などを実際に見てきて、写真に撮ったほうがいいという話になります。高遠さんと一緒にイラクに行くことになりました。 著者 今井 紀明 1985年6月15日 札幌市生まれ 2004年3月 立命館慶祥高校卒業 2004年4月7日 イラク・ファルージャ近郊で「人質」となる 2004年4月15日 開放される (「MARC」データベースより)amazon 人質になった18歳は何を考え、何を学んだのか? 平和ボケの日本人に知ってほしかったこと、語られないイラク戦争の実状、深刻な劣化ウラン弾問題等を語る。「自己責任」という言葉を跳ね返せなかった日本中が試されている。
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あれから何年も経ち、今は何をされているのかも分かりませんが、当時の異常なバッシングぶりが蘇ってきました。彼らの行動が軽率であるといった印象は拭えませんが、100%否定する気もありません。世界の平和を願う著者の気持ちは若干伝わりました。
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