10代の真ん中で の商品レビュー
二十代の後半で読了。タイトル通り10代の真ん中で触れておきたかった一冊。少しだけ物事を後ろから、遠くから、全体像を眺めようとする意識が生まれてくるかもね。
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(2004.07.19読了)(2004.06.18購入) 中学生と先生の対話を通して、13歳から15歳ぐらいについて考える。 10歳ぐらいから「冒険」にあこがれたり「推理」に興味を持ち出す。「冒険」の気持ちを満たしてくれるものは、映画の「ドラえもん」であり、「推理」についての興味...
(2004.07.19読了)(2004.06.18購入) 中学生と先生の対話を通して、13歳から15歳ぐらいについて考える。 10歳ぐらいから「冒険」にあこがれたり「推理」に興味を持ち出す。「冒険」の気持ちを満たしてくれるものは、映画の「ドラえもん」であり、「推理」についての興味を満たしてくれるのは、「名探偵コナン」だったりする。江戸川乱歩の「少年探偵」シリーズは今でも読まれている。「シャーッロック・ホームズ」も同様。 ●13歳 「中学生になると、それまでよく知っていた「つながり」にそって、周りの出来事を見なくなる」「「つながり」って言うのは、結局は、「誰かがそれまでに見つけてくれていたつながり」っていうことだ。そういう「既にあるつながり」の中で見ないで、「つながりゼロ」の状態で、いろんな出来事を見ると、それまでよく知っていたはずのものが、急に今まで見たことのないようなものとして見えてくるってことが起こる。」 「「つながりゼロ」にして物事を見ることが出来るようになるって言うのは、別の言い方をすれば、それまで「大人」の決めてきた「つながり」を、そのまま鵜呑みにしないで、自分で切り離し、自分でもう一度「つなぎ直し」することができるようになってきたことを意味するわけだ。」 「13歳頃になると「一人一人」が別々だって言う意識が急に実感として感じられるようになりだすんだ。まさにこの頃誰もが「一人一人」に切り離されるようになってきているからだ。この「一人一人」になるって言う意識が、「歌」の中で「旅人」や「さすらい人」の歌として歌われて、この頃からとっても共感できるようになりだすんじゃないだろうか。」 ニーチェの「精神の三様の変化」 「駱駝から獅子へ、獅子から幼な子へ」 重荷を負い、それに耐えて砂漠に向かう「駱駝」の時、それから重荷をかなぐり捨てて、重荷を負わせるものに「否」を突きつけ、立ち向かう「獅子」の時、そして「今生まれたように」世界を見つめる「幼な子」へと変化する時 「受け入れる精神=駱駝」、「立ち向かう精神=獅子」、「発見する精神=幼な子」 (著者は、子供から大人への境界を13歳と考え「13歳論」という著書もある。) 著者 村瀬 学 1949年 京都生まれ 同志社大学文学部卒業 現在 同志社女子大学生活科学部教授 「子ども体験」村瀬 学著、大和書房、1984.10.30
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