イティハーサ(文庫版)(7) の商品レビュー
子供の頃、気になっていたけど読んでいなかった本です。 昔の本なのに、全く古さはなく、むしろ今話題になってもおかしくない、壮大な話です。全ての人に読んでもらいたい!
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※このレビューにはネタバレを含みます
空子都は鷹野の子を身ごもっている。しかし透祜は空子都が鷹野にかけた暗示を解き、天音の結界も破ってしまう。透祜は面会した天音に、亞神の側につくことを求められるが、自分はどちらの側にもつかないと答える。透祜はもはや妖祜と一体なのだ。 火夷は威神・呪皇にさらわれ、人殺しの過去に苦しめられる。死がその苦しみを解放してくれると唆され、救出に来た鷹野の目の前で身を投げる。 幻霧の森では殺戮が繰り返されている。比々希によって那智は致命傷を負うが、本人の望みで青比古の一刀により絶命。 透祜に神名を授けたことで、鬼幽は不二の内部に侵入。天音と一騎打ちになるが、鬼幽もまた亞神であったことが判明。透祜は陰石の真言告を唱え、不二の結界が消滅。空子都はお腹の子と共に毒をあおって死ぬ。 天変地異が起こり、威神・亞神ともに次々と消滅。やち王が登場し、謎が明かされる。核になるのは、この巻のカバーに描かれている陰陽思想だ。二つの反するものがぶつかり合い、調和が生まれる。善と悪や男と女といった二項対立そのものがバランスをとり、生命の営みとなる。 しかし、人類は情報を蓄積することによって、この調和を乱してしまった。進化する 反調和なのだ。反調和はどこに向かうのか? 世界の謎を説明する声は、一万年後に一神教が現れると予言する。鷹野と透祜は一つに溶け合い、そのものに神鏡を渡すべく超越的な意識体となる。 不二の里は生き残ったものたちにより平和に治められている。青比古のもとにやち王が降りてきて、青比古の心の扉を開ける。青比古と桂が結ばれて幕。 13年かけて描いただけあって、主要登場人物がみな、生き生きと動いている。作者がそれぞれを深く内面化しているからだろう。それだけに火夷や那智の死の場面は迫力があった。最終決戦を前に、皆死を覚悟している感じもあったので、最後は皆殺しにしてしまう永井豪的アルマゲドンを思い描いていたのだが、意外と生き残り、読後感も爽やかだった。 最初からきっちり世界観が構築されており、行き当たりばったりなところもなく重厚な読後感があったが、こういう超越的な世界観は、やっぱり80ー90年代的な感じがする。今だったら、なかなかこういうふうには描けないんじゃないか? この時代を代表する女性SF漫画といえよう。
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いよいよ読了。これ、面白かった。ちょっと古めの作品ではあるけど、90年代後半って、自分の青春時代にモロかぶるってのもあってか、全然イケる。自分的アリナシの分水嶺って、90年くらいにあるのかも。それはさておき、壮大な物語だった。最後に向かって、主力メンバーが結構次々といなくなってし...
いよいよ読了。これ、面白かった。ちょっと古めの作品ではあるけど、90年代後半って、自分の青春時代にモロかぶるってのもあってか、全然イケる。自分的アリナシの分水嶺って、90年くらいにあるのかも。それはさておき、壮大な物語だった。最後に向かって、主力メンバーが結構次々といなくなってしまうのが切ないけど、反して物語はどんどん盛り上がっていく。徹頭徹尾細かく描き込まれた絵も、見事の一言。素晴らしいです。
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文庫版「イティハーサ」最終巻です。 黄実花という存在は、お話のなかのアクセントぐらいに思っていたのですが、どうやら、そうではない様です。 那智も、アオヒコも、確かに、黄実花の話をすごく重要視しているんですね。 今回、気がついたのですが、アオヒコと桂のラストシーン。あのとき、...
文庫版「イティハーサ」最終巻です。 黄実花という存在は、お話のなかのアクセントぐらいに思っていたのですが、どうやら、そうではない様です。 那智も、アオヒコも、確かに、黄実花の話をすごく重要視しているんですね。 今回、気がついたのですが、アオヒコと桂のラストシーン。あのとき、セリフに書かれていない言葉。 あのときに、なんて言うべきなのかを教えているのが、黄実花なんです。 そういえば、アオヒコにしろ、一狼太にしろ、トオコにしろ、鷹野にしろ、「救い」を求めているキャラクターのなかで、黄実花は、あんまりその部分に必要を感じていないんですよね。(まあ、キョウジも、あんまり救いの必要を感じていないかも…) そういう意味では、とても自然体で、ニュートラルなキャラクターとして、設定されているのかもしれません。 そういえば、亜神、威神(そして、目に見えぬ神々)の間で揺れ動くキャラクターたちのなかで、黄実花のみが、どの神にも属していないのでは? 「この物語は、ファンタジーではなくて、SFとして完結しなければならない」 みたいなことを確か水樹和佳子がインタビューで言っていたのを見た気がします。 そのときは、そのSFの意味、こだわりがわからなかったのですが、人の心の動きという物語のなかに、もう1つ、大きな物語があるんだよという意味だったのかなぁ…というか、これは、水樹版「百億の昼と千億の夜」だとい宣言だったのかなぁと思います。 うーむ。 1つの物語が終わった。感慨深いものがありますね。 ところで、わたしの持っている本ですが、初版で、誤植があります。 それも、1番最初の口絵のページに(笑) 「第4部 目に見える神々」 ………。 見えるんかい!! 新しい版は、修正されているようでした。
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この最終巻が一番よかった気がします。 文庫版あとがきに、漫画家と編集者、雑誌についての作者の本音が書かれていて興味深かったです。こうしてはっきり実情?が書かれているのは珍しく、勇気があるなとも思いました。
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学生時代に、母親が持っていた単行本を読んでハマり、このハヤカワ文庫版を自費で購入するにあたりました。 神とはなにか、人とはなにか、名の持つ意味、目に見えるもの、目に見えないもの、本当に大切なものは?など、とても考えさせられた物語。 壮大なスケールで、いまだに読み返す本の一冊です...
学生時代に、母親が持っていた単行本を読んでハマり、このハヤカワ文庫版を自費で購入するにあたりました。 神とはなにか、人とはなにか、名の持つ意味、目に見えるもの、目に見えないもの、本当に大切なものは?など、とても考えさせられた物語。 壮大なスケールで、いまだに読み返す本の一冊です。 セリフの一つ一つが印象的です。 今の自分を構成していると言えるくらい影響を受けました。 単なる少女マンガとは一線を画してます。 最終巻。
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この作品を読んだきっかけは学生時代の憧れのおりょうちゃん。今でも覚えているけど日本史の授業中にノートに書名と著者名を書いて薦めてくれたのだ。 いつ終わるとも知れず連載されていたこの作品を、社会人になってからハードカバーで買っていたけれど、なかなか置いている書店もなくて(神保町のく...
この作品を読んだきっかけは学生時代の憧れのおりょうちゃん。今でも覚えているけど日本史の授業中にノートに書名と著者名を書いて薦めてくれたのだ。 いつ終わるとも知れず連載されていたこの作品を、社会人になってからハードカバーで買っていたけれど、なかなか置いている書店もなくて(神保町のくせに…)いつ連載が終わったのかも知らなかった。紆余曲折があって、何故か元の版元ではなく、漫画出版社でもない早川文庫から出たのを機にようやく全部そろえて読んでみました。 舞台は恐らく古代日本を思わせる架空の国で、まだ漢字も中国文化も伝わっていない。時期を前後して荻原規子さんの『空色勾玉』とかも書かれていたはずで、古代史ブームみたいなのもあったかなと思う。 ストーリーの壮大さ、絵の繊細さが素晴らしくて、やっぱりあの時期の集英社「ぶーけ」は凄かった、懐が深かった。そういえば、内田善美さんも「ぶーけ」作家だったし。 最終的に、この作品は少女マンガの枠内に収まらないと編集部に悪い意味で判断されてしまって、作家もかなりつらい思いをさせられたらしい。 そんな事情は全くしらなかったけれど、それでもこの物語が完結して、多くの人に認められたことは本当に良かったと思う。 でも、でも言わせてもらうと、『百億の昼と千億の夜』を思わせる終わり方過ぎないだろうか。同じ早川から出ているのだから、編集も作家もわかっているんだろうけど、でもやっぱりなあ。 とても好きだし、最初から最後まで大好きだけど、うーん。うーん。
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