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山頭火の妻 の商品レビュー

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2024/08/24

漂泊の俳人、種田山頭火は自由律俳句で知られる。山頭火の妻、咲野の人生とはどういうものだったのか・・ 著者は長男、種田健氏へ取材を申し込み、山頭火の日記や俳句と照らし合わせながら咲野という女性の生き様に迫る。 平成6年に出版の本だが、とても読みやすい! 明治22年、山口県佐波郡和...

漂泊の俳人、種田山頭火は自由律俳句で知られる。山頭火の妻、咲野の人生とはどういうものだったのか・・ 著者は長男、種田健氏へ取材を申し込み、山頭火の日記や俳句と照らし合わせながら咲野という女性の生き様に迫る。 平成6年に出版の本だが、とても読みやすい! 明治22年、山口県佐波郡和田村で生まれた佐藤咲野は20歳で種田正一(後の山頭火)と結婚。 両家とも資産家だった。 「坊主になるから嫁はもらわぬ」と言っていた男が承知したそうだから、さぞかし魅力的な女性だったのだろう。 その翌年誕生したのが、長男の健。 子と遊ぶうらら木蓮数へては 大正5年に家業(造り酒屋)の倒産で、一家はふるさとを出て九州の熊本に移り、古書籍店「雅楽多」を開業。健7歳。 ささやかな店を開きぬ桐青し 山頭火が生涯堅気になりきらなかったのは、親の躾が悪かったから(健の言葉) 山頭火の父、竹治郎の放蕩。少年の日の母の自死と祖母の溺愛。文学に傾き家業をないがしろにした山頭火。弟の自殺。 負の連鎖のように種田家が没落への道を進んで行ったことがよくわかった。 夏目漱石との以外な繋がりも興味深く、お互いに神経衰弱の病を抱えていたとはなんとも… 一方で咲野は、額縁やアルバムを扱い商売を繁盛させ、健の面倒も一人でみるしっかり者。着物姿で生き生きと働く姿が容易に想像できた。 酒に溺れ放浪してまわるだらしのない夫は妻に愛想を尽かされても仕方がないと思うが、インテリの山頭火からすると、自分の苦しみや痛みを解ろうとしない可愛げのない女に見えたのだろうか… ついに妻子を熊本に残して上京してしまう。 見込みのない男との離婚を迫る咲野の実家から、山頭火が押印した離婚届が送られてきた。離婚後も実家には戻らず仕事を続け、山頭火を援助する咲野は大した女性だと思った。 後半は沢山の俳句、日記から出家後に行乞流転する山頭火の思いを知ることとなったが、逆に咲野の姿が霞んでしまい残念に思う。 昭和43年7月、台風の日にバスにひかれ79歳で亡くなり山頭火の眠る「種田家之墓」に埋葬された咲野さん。彼女の人生にもう少し触れてみたい気がする。 防府市の「山頭火ふるさと館」にも一度足を運んでみたい。

Posted byブクログ