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この道より の商品レビュー

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2024/01/29

<「自分はお坊ちゃまだ、/しかし父と母の子だ、/父も母も大宮人と百姓の子だ。/自分は空想と現実の子だ。」(「自分は父と母の子だ」)> 武者小路実篤の詩を阪田寛夫が編んだもの。 実篤といえばまず思い出すのは「仲よき事は美しき哉」だろうか。筆文字に野菜だの花だのの絵が添えられた色...

<「自分はお坊ちゃまだ、/しかし父と母の子だ、/父も母も大宮人と百姓の子だ。/自分は空想と現実の子だ。」(「自分は父と母の子だ」)> 武者小路実篤の詩を阪田寛夫が編んだもの。 実篤といえばまず思い出すのは「仲よき事は美しき哉」だろうか。筆文字に野菜だの花だのの絵が添えられた色紙である。これは詩というよりは画讃だが、何の衒いもなく、ごく平易な言葉で、ある意味、当たり前のことを言い切る姿勢は詩にも通じている。 詩というと、技巧が凝らされたり、「詩語」といわれる普段は使わないような言葉が使われたりすることが多いが、実篤の詩はそうではなく、ごくストレートである。解釈に迷うようなものはほぼない。 この道より 我を生かす道なし この道を歩く。 (「この道より」) レンブラント! お前は立っているな! 耐(こら)えて耐(こら)えて立っているな 帝王のように 一人で 帽子を阿弥陀にかぶって、 両手を腰にあてて、しっかと。 レンブラント! お前は立っているな! (「レンブラント」) そう言われたら、「なるほどそうですね」と返したくなってしまうストレートさ。 大らかで真っすぐで、すとんと胸に落ちる。 100ほどの詩篇に、編者・阪田の解説がつく。阪田曰く、「童子の詩」。 実篤は公卿の家に生まれた。父は明治新政府の官僚として嘱目されるが、若くして亡くなった。その後、子供たちを守り育てたのは母で、こちらも公卿の家の出だった。冒頭に挙げた詩で「大宮人と百姓の子」と言っているのは、両親が、公卿の家の男子と、富農の娘である側室の間に生まれたことを指している。 その2人の間に生まれた自分は、お坊ちゃまといえばそうだが、だからといって世間知らずのひ弱な貴族ではないよ、と言っているようでもある。 子どもっぽいとも言えるその詩には、大地に根差したものがあるようにも思える。 1編、有島武郎が死んだことに触れた詩がある。2人は旧知の仲だった。 どちらも名士の家に生まれ、どちらも白樺派に属し、どちらも農業共同体のようなものを模索し。しかし一方は四十代半ばで自死を遂げ、一方は長寿を全うする。 2人の運命を分かったものは何だっただろう。 あるいはその一因に、実篤の持つ「図太い大らかさ」があったのではないかと思うのは、憶測が過ぎるだろうか。

Posted byブクログ

2010/09/06

この道より我を生かす道なし、この道を歩く 実篤ってグダグダグダグダ悩み続けて生きた人なんだろうなぁと思うね。

Posted byブクログ