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畠山重忠 の商品レビュー

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2022/07/10

畠山氏の威勢は武蔵守の平賀朝雅にとって都合が悪かった。朝雅は北条時政と牧の方の娘婿である。朝雅は畠山氏が謀反を企んでいると牧の方に讒言し、謀反人とした。 「忠実で正直な重忠が謀反を起こす訳がない」 北条義時は反対したが、牧の方に押し切られてしまった。これが畠山重忠の乱である。 ...

畠山氏の威勢は武蔵守の平賀朝雅にとって都合が悪かった。朝雅は北条時政と牧の方の娘婿である。朝雅は畠山氏が謀反を企んでいると牧の方に讒言し、謀反人とした。 「忠実で正直な重忠が謀反を起こす訳がない」 北条義時は反対したが、牧の方に押し切られてしまった。これが畠山重忠の乱である。 まず鎌倉にいた重忠の嫡男・畠山重保が討たれる。これは過去の戦いで遺恨を抱いていた三浦氏が主導した。重忠は「鎌倉に異変があり、至急参上せよ」との虚偽の命令で呼び出され、途上で討たれた。合戦後に義時は重忠が少数の兵しか用意していなかったことから謀反を起こそうとしていたとは考えられず、讒言による冤罪であると時政を批判した。これが義時・政子と時政・牧の方の対立を深め、牧氏事件につながる。但し、これは『吾妻鏡』が義時を善玉、時政を悪玉に見せようと脚色したものと批判される。 その後の武蔵守は北条氏が就任し、武蔵国は北条氏の重要な地盤になった。義時は畠山氏滅亡の果実を享受している(呉座勇一『頼朝と義時 武家政権の誕生』講談社現代新書、2021年)。畠山氏の旧領と名跡は足利義兼の庶長子・足利義純が重忠の妻と婚姻し、継承した。これによって畠山氏は足利一門として存続する。足利尊氏が鎌倉幕府を滅ぼしたことは因果である。足利尊氏は室町幕府を開くと、畠山氏は有力守護大名になり、管領に就任できる三管領家になる。

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2011/05/09

拙著『好漢は懼れず 鎌倉最強伝』(大和田稔 著・幻冬舎ルネッサンス)の主人公・朝夷名義秀が目指す、鎌倉最強の武士・畠山重忠についての人物叢書。快男児重忠の人生を学術的に記してあり、参考文献として、非常に役に立つ。重忠について書きたい人には、必携の一冊である。

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