ダダ の商品レビュー
自らも芸術家としてその渦中に身を置いていたリヒターによる、ダダのドキュメントであり、ダダの全貌を知る上での必読書。チューリヒに生まれ、ニューヨーク・ベルリン・ハノーヴァー・ケルン・パリへと拡がり、ついにはシュルレアリスムの母体となったダダ運動の流れを活き活きと概説する。 ダダ...
自らも芸術家としてその渦中に身を置いていたリヒターによる、ダダのドキュメントであり、ダダの全貌を知る上での必読書。チューリヒに生まれ、ニューヨーク・ベルリン・ハノーヴァー・ケルン・パリへと拡がり、ついにはシュルレアリスムの母体となったダダ運動の流れを活き活きと概説する。 ダダを始めとするアヴァンギャルド運動とは、第一次大戦によって剥き出しにされたニヒリズムの、芸術に於ける顕われではないだろうか。ダダは、20世紀精神史に於いて、ニヒリズム・実存思想・疎外論・反合理主義・ファシズムなどの諸思潮(更に、美的モデルネ・ロマン主義的アイロニー・反断片化・反俗物・反形而上学など)――総じて「否定神学」的傾向をその根底に置く思潮――とともに位置づけられるべき事象であると思う。 ダダは、その徹底した否定性により、ついに自己否定にまで到り必然的に自ら瓦解した。凡ゆる価値・理念・秩序・体系を峻拒し解体したダダから、新たな「何か」を肯定的に探求し構築するシュルレアリスムが生まれたのだ。 ダダには必然的な自己否定という本質的な不可能性が備わっている。このダダの不可能性は、そのままポスト・ダダの不可能性ではないか。凡ゆる価値体系を否定したダダは、歴史の中で一つの芸術様式として類型化されてしまうであろう。類型化したダダは、勿論ダダではない。しかしこの類型化に対して反抗してみても、まさに当の類型化に対する反抗そのものが予め類型化されてしまっている以上、これもやはりダダではない。真のダダは反ダダだとツァラは言った。しかし瞬間的なダダ運動ののちには、ダダも反ダダも不可能なのではないか。 しかし、この本質的・極限的な不可能性を背負い、その上でなおも、無限の否定を遂行し続けるしかないように思われる。こうした、不可能性の自己関係的機制(超越の内在化)というものが、凡ゆる局面に於いて見出される。 各地域のダダ運動を担った主な芸術家 ○チューリヒ・ダダ ツァラ、バル、アルプ、ヤンコ、ヒュルゼンベック、エミー・ヘニングス ○ニューヨーク・ダダ ピカビア、デュシャン、マン・レイ、クラヴァン ○ベルリン・ダダ ヒュルゼンベック、ハウスマン、バーダー、グロッス ○ハノーヴァー・ダダ シュヴィッタース ○ケルン・ダダ マックス・エルンスト ○パリ・ダダ ツァラ、ピカビア、ブルトン、アラゴン、スーポー、エリュアール、リブモン=デセーニュ
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