冠 の商品レビュー
昔の本を見つけて読んでみる。 オリンピックとコロナ(冠)。 商業化されたオリンピック。 もう四半世紀も前の話なのか…。 記者の人たちはテレビ局が映してくれなければ見えない。 そりゃそうだ、と当たり前のことに改めて気づく。
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沢木さんのは結構読んでいますが、この本ほど素というか”感情”があらわになっている本をはじめて読んだような気がする。 大事なものを汚された憤りが全編に表れているようで、それでも高揚する自分がいる、ような。 批判と憤りと軽蔑と、期待を裏切られて斜に構えているような。 この人も「団塊の...
沢木さんのは結構読んでいますが、この本ほど素というか”感情”があらわになっている本をはじめて読んだような気がする。 大事なものを汚された憤りが全編に表れているようで、それでも高揚する自分がいる、ような。 批判と憤りと軽蔑と、期待を裏切られて斜に構えているような。 この人も「団塊の世代」だなぁとしみじみ思った。 これほどまでマイナーに目をむけ、大勢が気が付かない高尚さ、その輝きを見つけ拾い上げ大事にしているのに、彼自身がとてもメジャー、というのは、本当に感嘆する。 今、彼は東京五輪決定をどう思っているんだろう。色々話を聞いて見たい。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
「杯(カップ)-WorldCup-」の対になる本。96年のアトランタ五輪の期間中、スポーツライターとして会場の多くを回った日記形式の記録。日本が敗れる試合ばかりを見た中で、女子バレーの悲壮感と女子バスケの明るさの対象が鮮やかです。バスケの中川監督という人の淡々とした正直なコメントが心を打ちます。明るさと暗さはの違いは日本の伝統種目(水泳、体操、柔道が全て悪成績だった!)とマイナー種目の違い!陸上の特に100㍍男子についての記述は圧倒的です。やはりこれぞ五輪のメインイベント!だからなのだからでしょう。それにしても著者の五輪への冷めた眼が印象的です。冒頭は冬のオリンピアから始まりますが、要するに古代オリンピックが1300年の歴史で形式化し衰退していったとのこと。それを著者は商業主義のアトランタ五輪に兆しを見るわけです。そもそも五輪をそんなに純粋なものとして見る事が間違っているのかも知れません。それにしてもやはり五輪は面白いですが・・・
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1996年のアトランタオリンピック観戦記。当初は『オリンピア』の一巻として刊行される予定だったもののようです。沢木耕太郎にしては珍しい、徹底した批判的文章が印象的。観戦をしながら旅をしているような感じはもちろん健在。懐かしい選手がたくさん登場します。 2002年のワールドカッ...
1996年のアトランタオリンピック観戦記。当初は『オリンピア』の一巻として刊行される予定だったもののようです。沢木耕太郎にしては珍しい、徹底した批判的文章が印象的。観戦をしながら旅をしているような感じはもちろん健在。懐かしい選手がたくさん登場します。 2002年のワールドカップ観戦記『杯:緑の海へ』と対を成す作品です。
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アトランタオリンピックのお話。アトランタはCNNの本社がある。経済戦略がオリンピックに絡むのは、本質的に間違い。
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