秘境西域八年の潜行(下) の商品レビュー
蒙古人ラマ僧ロブサン・サンボーとしての1942(昭和17)年からの8年に亘る中国周辺部(蒙古・チベット・ブータン・ネパール・インドであり、西域のイメージからは遠い)などの命がけの旅はようやくインドのカルカッタで警察に捕まり日本・神戸に戻ることで終了する。この著者の膨大な記録からこ...
蒙古人ラマ僧ロブサン・サンボーとしての1942(昭和17)年からの8年に亘る中国周辺部(蒙古・チベット・ブータン・ネパール・インドであり、西域のイメージからは遠い)などの命がけの旅はようやくインドのカルカッタで警察に捕まり日本・神戸に戻ることで終了する。この著者の膨大な記録からこれらの周辺地域の詳細な社会が浮き彫りになり、貴重な資料である。この記憶力の凄さに驚き!この地域の人たちが日本人に似ている遠因が血の繋がりにあるのではないか、と想像してしまう。モンゴル人とチベット人は同じラマ教を信奉し、民族的にも近いにもかかわらず、お互いをイヌ(チベットからモンゴル)、サル(モンゴルからチベット)と呼び合う関係は面白かった。ラマ僧の生々しい生活実態、宗教都市・聖都のラマの表面とは全く裏腹の性的も含めたあらゆる面での乱脈・放縦を極めた驚きの報告!想像を絶する謎の地域だったと痛感した。戦後直ぐの時期に、中華民国政府がチベットを中国の一部として国連加盟を認めなかったとの歴史は、今の台湾問題と同じ構造だったことには大きな皮肉を感じる。ブータン王との対面は実にユーモラスで楽しい逸話。50ルピーのお金を貸してもらい、結局返さずじまいとは面白過ぎる。
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下巻:昭和21年5月、ラサ近郊のレボン寺に入り修行僧の身となる。昭和22年2月 木村氏がラサ西部の情報を得る仕事を受け同行する。ラサ~昌都~玉樹~ラサ 昭和22年10月ヒマラヤ越え、カレンポンに戻る。任務が終わり報告書の地図を描く。木村氏のいた新聞社に入る。社主のタルチンはクリス...
下巻:昭和21年5月、ラサ近郊のレボン寺に入り修行僧の身となる。昭和22年2月 木村氏がラサ西部の情報を得る仕事を受け同行する。ラサ~昌都~玉樹~ラサ 昭和22年10月ヒマラヤ越え、カレンポンに戻る。任務が終わり報告書の地図を描く。木村氏のいた新聞社に入る。社主のタルチンはクリスチャンのため昭和22年クリスマスを昭和23年正月は新聞社経営のタルチン氏の家で迎える。昭和23年秋、新聞社をやめインドの仏跡めぐりの行脚にでかけ、昭和24年秋、ネパールを経てカレンポンに戻り、アッサム鉄道工事のセブクで鉄道建設の仕事に就く。昭和24年9月、木村がラサを追放になったという噂をきくと、まもなく木村から手紙が着いて、会いたいというのでカリンポンに会いに行く。チベットの中国人追放の巻き添えで追放になったがインドにいてもよく、台湾に行くこともできる、どうしようか、という相談。自分(西川)のことは気にしないで、君の決断にまかす、と言う。いずれにしても決断前に手紙で連絡することにした。10月、工事現場に警官が来る。「・・木村君が私のことを、すべて密告したことを悟った」「・・木村君も事前に相談してくれればよかったのにと思ったが、観念のほどを決めるほかなかった」 プレシデント監獄に木村氏と入る。 昭和25年5月12日、カルカッタから日本行きの船に乗る。6月13日、神戸に着く。 1991.1.25発行 図書館 「秘境西域八年の潜行(上巻・昭和42年11月、下巻・昭和43年2月 芙蓉書房刊)と、「秘境チベットを歩く」(昭和43年10月 芙蓉書房刊)を合わせて編集しなおしたもの
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西川一三は戦前の情報部員である。チベットに巡礼に行くモンゴル僧「ロブサン・サンボー」(チベット語で「美しい心」)を名乗り、チベット・ブータン・ネパール・インドなど西域秘境の地図を作成し地誌を調べ上げた。その活動はなんと敗戦後の1949年まで続いた(敗戦は1945年)。帰国後、直ち...
西川一三は戦前の情報部員である。チベットに巡礼に行くモンゴル僧「ロブサン・サンボー」(チベット語で「美しい心」)を名乗り、チベット・ブータン・ネパール・インドなど西域秘境の地図を作成し地誌を調べ上げた。その活動はなんと敗戦後の1949年まで続いた(敗戦は1945年)。帰国後、直ちに外務省に報告をするべく訪ねたが、全く相手にされなかったという。直後にGHQから出頭せよとの命令があり、西川の情報を引き出すべく1年にも及ぶ取り調べが行われた。 https://sessendo.blogspot.com/2018/08/blog-post_4.html
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