形を読む の商品レビュー
唯脳論での紹介があつたことから。 解剖以外での彼の思考を辿ることはそれ自体、考へる精神に触れられる機会であるが、改めて、彼が専門とする領域について出会ふことはなかつた。 彼が生きて語るといふこと自体、彼が生業とする学問の発現に他ならないが、かうして自身の学問を考へるのは、大学で彼...
唯脳論での紹介があつたことから。 解剖以外での彼の思考を辿ることはそれ自体、考へる精神に触れられる機会であるが、改めて、彼が専門とする領域について出会ふことはなかつた。 彼が生きて語るといふこと自体、彼が生業とする学問の発現に他ならないが、かうして自身の学問を考へるのは、大学で彼の講義を聞くより他ない。 同じ形だ、と決定することがこれほど困難なこととは思はなかつた。形は現に存在する。しかし、そのかたちが置かれた文脈を考慮すれば、はたしてその形が同じものであるかわからなくなつてしまふ。 さういつた文脈を揃へていくのが進化や発生の分野であるなら、機能といふ文脈上の解釈で揃へていくこともできる。当然どちらも説明できることもあればできないこともある。 形を読む上で注目すべきは、種ごとの異同もさながら、どのやうなパターンが繰り返されてゐるのかといふことだ。パターンが変化するには変化するだけのことがある。ましてや突然変異をはじめとする不確定な確率の世界だ。ところが、同じパターンが安定して繰り返されるといふことが現に起きてゐる。シュレディンガーの発見は、さうした同じパターンが繰り返されるための安定した構造の存在であつた。遺伝子による発生である。一方で、種ごとに繰り返される形が違ふのは何ごとか。これが進化だ。ではなぜ進化が起こるのか。わからない。しかし、種ごとにその形を並べてみると、どうも一定方向に進んでゐさうなことがわかる。 解剖学の他の学問とは大きな相違は、現に見えるものとして対象が在ることだと思ふ。化学や物理、心理学なら、まず、何かが存在するといふところから始めねばならない。しかし、解剖学ではなぜさう見えるのか、なぜさう在るのかの理由などあるわけない。だからこそ、それがどういふ流れの中にあるのか、はたまたどういふ意味・機能なのかであるのかといつたところから攻めるより他ない。 彼の描く解剖学は、ひとつの美術史をみてゐるやうで、そこに「形」といふものの不可思議な存在がありありと見えてくる。
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