レジェンド(1) の商品レビュー
湊谷夢吉が、『魔都の群盲』『虹龍異聞』『マルクウ兵器始末』(いづれも北冬書房から1984から88年にかけて刊行、その後1997年にアスペクトから『虹龍異聞』『魔都の群盲』『ブリキの蚕』として再刊)という3冊のマンガ単行本を出して、1988年に38歳で夭折したマンガ家だということを...
湊谷夢吉が、『魔都の群盲』『虹龍異聞』『マルクウ兵器始末』(いづれも北冬書房から1984から88年にかけて刊行、その後1997年にアスペクトから『虹龍異聞』『魔都の群盲』『ブリキの蚕』として再刊)という3冊のマンガ単行本を出して、1988年に38歳で夭折したマンガ家だということを知ったのは、一世を風靡した文化人類学者の山口昌男が書いた『知の錬金術』(1989年)を高1のときに読んだからでした。 そのなかで山口センセは「活字にならなかった死亡記事・・・漫画家と民俗学者の死」と題して湊谷夢吉のことにほんの少し触れています。 いわく、癌で死去したことが三大新聞にも載らなかったほど生前は知られていなかったこと、『マルクウ兵器始末』のほとんどがつげ義春も同人だった同人誌「夜行」に掲載されていたこと、1950年京都生まれで38歳で夭折したこと、自らを「或時は謎の画学生、或時はドサ回りの歌うたい、或時はスミヤキスト、又或時は鉄筋工、又或時は広告絵師・役者・白面の野次馬・助平なオジサン、而してその実体は・・・寡黙な漫画家で有りました」と自己紹介していること、そして『魔都の群盲』について、「時代から一歩引いた一人、あるいは数人の人物の群れによって描かれた、戦前の満洲・上海あるいは戦中の捨てられた軍需工場、幕末の文久三年、といったあたりに焦点がすえられていて」、ことに戦前の満洲・上海は、すでに映画『ラスト・エンペラー』や斉藤憐の演劇『上海バンスキング』や寺山修司の演劇『上海娼婦館』などによって、半世紀前に存在したアジアの異界として、私たちの想像力に強烈に働きかける素材としてあり彼のマンガもこの系譜に属することを指摘していますが、これを読んだ私はもう矢も楯もたまらなくなって、すぐにでも読みたくて、急いで北冬書房に連絡して3冊のマンガ単行本を取り寄せたのでした。 そのあとも山口教授は、1992年に出た安彦良和の『虹色のトロツキー 第1集』(潮出版社)の巻末の解説でも、この湊谷夢吉に言及していて、この時は『マルクウ兵器始末』に関してですが、こういう「挫折した日本人と無理矢理挫折を強いられた上海の中国人との出逢いを描いた作品」が好きだと、ちょうど雑誌連載している自著の『挫折の昭和史』(本の刊行は1995年)に思いっきりからめて書いていますが、その見開き2頁の解説の冒頭にこうあります。 (考えてみると、だいたい月刊「コミックトム」に連載したマンガを単行本にする時に、こうした解説をつけるということ自体が異例中の異例なのですが) 「もう十数年来の現象になるが、マンガが対象とする世界が小説のそれを遥かに越えてしまったと多くの人が感じるようになった。科学・経済・伝記・歴史・幻想などあらゆる世界に触手を拡げた。どのような世界にも足を踏み入れて、情報に制作者の視覚的想像を付加価値として加え、作品として世間に提供する、つまりメディアに載せるという力をマンガは発揮しはじめた」 そんなふうに、この世界的にも著名な大学者は大上段に切り出して、『虹色のトロツキー』がいかにすばらしいマンガなのかを大絶賛するのですが、その中の9行を費やして湊谷夢吉のことを書き、彼の死によって「やや空虚な気分で数年を過ごした」とまで激白しています。 たしかに、もっと読みたくてしようがなくなりますが、それは無理なことなので再読するしかありません。もう何十回読んだかわかりませんが、確実にまたすぐにでも読むはずだという予感がします。 ★少数の湊谷夢吉ファンに、敬意と連帯のエールを贈るとともに・・・・・、 若干でも興味を持たれた方には→PCで「湊谷夢吉」と入れると≪湊谷夢吉コスモス≫というサイトが出てきます。今ではここに、私などよりももっと熱心な方の尽力によって、CDも出しているとか彼の全貌がわかりますし、著作への案内が豊富です。ぜひ、ご覧下さい。
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