萩尾望都作品集Ⅰ ケーキケーキケーキ(3) の商品レビュー
暫く70年代初めの萩尾望都を追う。初の長編作品である。1970年、講談社「なかよし」の編集部が、萩尾望都が両親の反対を押し切って上京できるように別冊2号分、原作つき(一の木アヤ)の仕事を用意した。260頁、26万円だった。萩尾望都上京直前の作品である。 他の短編とは全く趣きが違...
暫く70年代初めの萩尾望都を追う。初の長編作品である。1970年、講談社「なかよし」の編集部が、萩尾望都が両親の反対を押し切って上京できるように別冊2号分、原作つき(一の木アヤ)の仕事を用意した。260頁、26万円だった。萩尾望都上京直前の作品である。 他の短編とは全く趣きが違う。コマ割りはハッキリして、線は太い。コマは1.5倍ほど大きくなった。物語も、憧れの菓子職人目指してパリに行って成功する単純なものだ。けれども、今から考えれば「庖丁人味平」などが席巻する暫く前の、料理漫画の先駆け作品だった。 萩尾望都は、パリのことなど全く知らないので、友達が見かねてアシ先の自分の「先生」を紹介。パリの菓子店の様子を語らせてくれた。萩尾望都憧れの人、手塚治虫である。1970年の春は、手塚治虫が社長になっている虫プロ商事、そして「COM」が危機的状況に陥っていた時期だった。そんな最中にアシスタントが「有望な漫画家志望が困っている」というだけで、ちょっと前にパリに行って帰ってきただけで、時間を作ったということだ。手塚治虫は事業者としては失格だったけど、ただただマンガが好きで、マンガを好きな人を好きなんだったんだと思う。 作品は、原作と読者対象者を気にしたせいか、萩尾望都本来の抒情性はない。そうは言っても、リアルさは追求された。何度も編集部と対立したらしいので、何処か萩尾望都の置かれている状況は生きている。 お姉さんのように文学的才能も音楽的才能もなくて、お菓子にしか興味がない主人公の境遇は、両親にとっては山師のようなマンガにしか興味がない娘を、条件つけて上京させたのと似ている。 パリの菓子店親方は、「女の子は職人にむかない」という。「女は長い髪をしている、スカートをはいている、化粧もする、香水もつける、男より体力もない、おまけに結婚という逃げ場もある」という。偏見ではない。「長い髪なぞ不衛生だ、化粧の匂いは菓子にうつる、かまどでやけどする、メレンゲをつくるには体力がいる」説得力があるのだ。現代でも、「コレは区別か、差別か」に通じる問題である。当然、主人公は次の日髪をばっさり切って、ズボンをはいて、荷物を持って住み込で頑張ってゆく。この辺り、一の木の発想だろうか?萩尾望都の発想だろうか?ともかくジェンダー平等漫画の先駆けかもしれない。 これは1970年の「なかよし」別冊9-10月号に載った。一般大卒男子の半年分の資金を得て、11月、萩尾望都は竹宮恵子と一緒に大泉のボロい二階建ての借家に引っ越すのである。
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ブクログの一覧に載せたくて登録。 漫画中毒と親に心配されるくらいに漫画を読んでいて今に至るけど、100冊買って1冊手元に残せばいいくらいに手放しているけど、手放せず、何度も読み返した漫画がこれ。 一番、泣けた漫画もこれ。 この時代の萩尾望都の線のタッチが好き。繊細な美しさだと...
ブクログの一覧に載せたくて登録。 漫画中毒と親に心配されるくらいに漫画を読んでいて今に至るけど、100冊買って1冊手元に残せばいいくらいに手放しているけど、手放せず、何度も読み返した漫画がこれ。 一番、泣けた漫画もこれ。 この時代の萩尾望都の線のタッチが好き。繊細な美しさだと中期以降に軍配が上がるけど、この時代の独特のタッチは二度と書くことが出来ないものだと思う。 「なかよし」の付録で前編を読んだ後、後編が読みたくて古本屋を周り続けて数か月後に購入。 それ以降、ボロボロになるまで読み返して、この単行本が出たので購入して、それもボロボロで文庫が出た時に、そちらも購入。 時代とともにセリフが変わっていった場所がすぐわかるくらい読み込んでいます。 原作付きのこの漫画、萩尾望都はあまり乗り気がなかったらしく、この当時の他の漫画に比べると筆の運びが早いように思えますが、そこが逆に魅力的になっています。古い名作映画を見るようなコマ割り、歌が聞こえてきそうな絵も魅力的です。
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萩尾作品を読めるだけ読もう計画の第一弾。 とりあえず少女漫画の基礎教養として24年組作品のメジャーどころは押さえたい。 作品の感想としては、ダイエット中に読むものじゃなかったなぁという後悔がまず一番。甘いものが苦手な自分でも、思わず近所のケーキ屋さんに駆けこんで、ありったけのお...
萩尾作品を読めるだけ読もう計画の第一弾。 とりあえず少女漫画の基礎教養として24年組作品のメジャーどころは押さえたい。 作品の感想としては、ダイエット中に読むものじゃなかったなぁという後悔がまず一番。甘いものが苦手な自分でも、思わず近所のケーキ屋さんに駆けこんで、ありったけのお菓子を買い込みたくなるような気分にさせられた。ただ、よくよく読んでみると実はケーキそのものを描いたシーンはあまりないという…。アルベールの「幸せな人」とカナの「夢の中の歌」ぐらい?でもその分アルベールのケーキの素晴らしさが際立って、とりわけ彼がカナに腕をふるって「本物のフランス菓子」をご馳走する場面は素晴らしかった。フランス菓子に対するアルベールの深い愛情と情熱が伝わってくる。あのエピソードがあるから、その後カナが勢いに任せてパリへ渡ったとしても、彼女の熱意に説得力が生まれる。1970年の作品で、作中にも「女の子が菓子職人になんてなれやしないんだ!」みたいな台詞もあることだし(今はそんなことないと思うのだけれど…)カナのような普通の少女が自分で人生を切り開いていくというのは、やはり当時としては幾分過激な発想だったのだろうか。当時読むのと今読むのとでは読み方も受け取り方も全く違うことになるのだろうし、古い漫画を読むにはちょこちょこ自分で勉強する必要があるなと感じた作品。少なくとも、時代の感覚を掴むためには当時の歴史や風俗ぐらい追っておいた方が良いのかもしれない。 話の大筋としては、いかにも昔の少女漫画らしくきらきらしいフランス人青年が二人も出てきて(片方は嫌なやつで、本命の方は死んでしまうけれど)(この「本命は死んでしまう」という悲劇性も、何となく昔の少女漫画らしいと思う。今ではあまり流行らないし)そのうちの一人アルベールと彼の作るスイーツに恋をした日本の少女カナが、彼を追って花の都パリへ渡りパティシエを目指す…というもの。全編花やらお菓子やら少女漫画のシンボルがちりばめられていて、それだけでありがちな作品にもなり得るものが、それでも「菓子職人を目指す」という主軸のもとにただのロマンティックな少女漫画で終わらないところが面白かった。最後なんかおやじさんに抱きついているシーンで終わるし…。少女漫画がそれで良いのかと少し突っ込みを入れたい気分にもなったり(もちろん良い意味で)。ラスト付近の目玉イベント、フランス菓子コンクールで入賞できないというリアリティも良かったなぁ。原作は一ノ木アヤさんと言って別の方のようだけれど、当時はこんな風に萩尾先生も原作つきで作画だけを担当することは珍しくなかったのだろうか。どの程度萩尾先生のアレンジが加えられているのかは分からないものの、『トーマの心臓』で初めて萩尾作品に触れた身としては、若い頃はこういうものも描いてたんだと少し新鮮にも感じられる作品だった。 あとは、時代性という話は上でも少し書いたけれど、とにかく雰囲気といい絵柄といい今となっては「当時性」をビシバシ感じる作品だと思う。とりわけ目についたのは極端にコマ数が少ないこと。1ページ2、3コマなんてざらで、古い漫画をあまり読みなれていない身としては「こんなに広く取っていいのか?」と地味にカルチャーショックだった。あとは、昔はよくあったコマの枠外や空いたスペースに、ローマ字で書き加えられた作者自身のつぶやき。カナがアルベールのケーキを思い出してあれこれイメージするシーンで、半分開いたハート形の扉の背景を前に、「心の扉が『感動』で開いているところ。こんなところまで『説明』させる気なの?」とローマ字でこっそり書いてあった時は「いや、先生、べつに頼んでないですよ!」と笑いだしそうになってしまった。それでも、おちゃめな落書きの他は「少女漫画はこれで良いのか?NO!やらねばならないことがあるはず」とか「若者はいま何をすればいいのか?これからの世界の明日をみつめたとき」なんていう真剣な葛藤も書かれていたりして――これだけ甘く爽やかな原作の裏で、それでも萩尾先生はこの当時から少女漫画界の何かと戦っていたんだ、と思うと本当に感慨深かった。その真摯な苦闘が実って、今や萩尾望都と言えば少女漫画の神さまのような存在になっている。何気なく手にしただけの一冊だったけれど、萩尾先生の若く未完成な時代の情熱を感じられる、貴重な初期作品だと思う。
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