わたしは真悟(1) の商品レビュー
-10巻まで読了済。 機械が心を持つというホラー漫画。 1985年の時点で、機械が心を持つと考えて作品を記したという意味ではスゴイと思う。(しかし、作品の展開自体は不可思議な印象で、だんだんおいていかれてしまい、最後は流し読みをするに至ってしまった。ちゃんと設定を追って読んでいけ...
-10巻まで読了済。 機械が心を持つというホラー漫画。 1985年の時点で、機械が心を持つと考えて作品を記したという意味ではスゴイと思う。(しかし、作品の展開自体は不可思議な印象で、だんだんおいていかれてしまい、最後は流し読みをするに至ってしまった。ちゃんと設定を追って読んでいけれそのようなことは無かったかもしれないが)
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もう何度も読み返しているけど、まったくメモっていなかったので改めて。 工業用ロボットが好奇心旺盛な少年少女と接触して自我に目覚め、孤独な旅に出る物語。 その過程で様々な出会いと別れが生じ、世界に奇蹟と恐怖を撒き散らす。 一貫して当のロボットの一人称「わたし」が、 しかも「……だっ...
もう何度も読み返しているけど、まったくメモっていなかったので改めて。 工業用ロボットが好奇心旺盛な少年少女と接触して自我に目覚め、孤独な旅に出る物語。 その過程で様々な出会いと別れが生じ、世界に奇蹟と恐怖を撒き散らす。 一貫して当のロボットの一人称「わたし」が、 しかも「……だったといいます」といった伝聞形式を取るという奇妙なモノローグと、 暗示的で美しい扉絵が、読む者の不安を増大させる。 ■1巻「無よりはじまる」 工業用ロボットが町工場に導入され、小学生男児=悟(さとる)と出会うまで。 さとるはロボット見学の折、別の学校の女生徒=真鈴(まりん)に一目惚れする。
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今日はわが愛する楳図かずおの誕生日です。 今から75年前の1936年9月3日に和歌山県伊都郡高野町で生まれて奈良県五條市で育った、ということは27歳で上京するまで培われたのは、その自然観や生命観はもとより人との交流や感情表現などあらゆる面でずっとゆったりした関西人として生きて来...
今日はわが愛する楳図かずおの誕生日です。 今から75年前の1936年9月3日に和歌山県伊都郡高野町で生まれて奈良県五條市で育った、ということは27歳で上京するまで培われたのは、その自然観や生命観はもとより人との交流や感情表現などあらゆる面でずっとゆったりした関西人として生きて来たわけです。 ご多分に漏れず小5で手塚治虫の『新宝島』に感激してマンガ家になろうと決めて、高校生の時には美術と音楽の他は興味を持たず、授業中にはマンガを描いていたというから筋金入りの劣等生(!)です。 彼の名作・傑作数々あれど、私が幼いころから慣れ親しんだのは、彼が命名してその分野で一世を風靡した「恐怖マンガ」でしたが、楳図かずおのすごいところは、それに安住せずギャグ・マンガの超傑作『まことちゃん』や、SFというか、今の時代の問題を鋭く描いた『おろち』『イアラ』『アゲイン』の三作、それに『漂流教室』や本作や『14歳』や『洗礼』や『神の左手悪魔の右手』など、次から次へと問題作を発表してきたことにあります。 そのなかでも本書は、小3の時に全10巻を揃えて繰り返し読んで圧倒的に魅了されたマンガでした。 「奇蹟は 誰にでも/一度おきる/だが/おきたことには/誰も気がつかない」 この呪文のような言葉が毎回巻頭に掲げられて展開する、小学6年生の悟(さとる)と真鈴(まりん)の物語。 悟の父親が働いている工場の工業用ロボット=通称モンローに、ふたりで色んなデータを入力していくうちに、作業以外のものが蓄積され、やがて万能の神のような存在と化していったのでした。 モンローを媒介して愛し合うようになったふたりに降ってわいたのが、真鈴の父親の外交官としての英国への移住という突然の別離でした。一生会えなくなるかもしれないために、ふたりは愛を確実なものにしようと結婚して子供を作ろうとします。 どうやったら子供が作れるのか知らないふたりは、万能の神=モンローに尋ねます。 ドウスレバコドモガツクレルノカ? モンローの答えは、 333ノ テッペンカラ トビウツレ というものでした。このヘンテコな解答はきっと、東京タワーから飛び移れ、ということだと理解したふたりは、実際に登って救助に来たヘリコプターに飛び移った、その時、工場の中の工業用ロボット=モンローに異変が起こり、急激な電流の変化で意識を持つようになってしまったのでした。ふたりと遠く離れたところで。 意識を持ったモンローは、自分の両親は悟と真鈴だと認識し、ふたりの名前をとって「わたしは真悟」だと命名したのでした。 真悟になったモンローは、悟が真鈴に伝えられなかった最後の入力されたメッセージ 「マリン/ボクハイマモ/キミヲ/アイシテ/イマス・・・・」 を、真鈴に渡そうと旅立ちます。 結局ふたりは望み通りに子供を作ることはできず、真鈴は英国へ、悟は母親の実家の新潟へと引き裂かれます。 『わたしは真悟』から・・・・ 子供のままでずっといることは不可能だけど、子供のままでいることの大切さ・幸福さは測り知れないこと。 人の一生の中で子供時代は、ただの通過する成長過程にしか過ぎない取るに足らないものではなく、それどころかもっとも大切な貴重な時間なのだということ。 けっして大人の常識や尺度に規制・抑圧されるのではなく、子供らしさや純粋無垢など無意味なものなのではなく、子供たちよ自覚せよ、今こそ立て! みたいなメッセージを、小学生の私は受け取ったのでした。
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