海神記(かいじんき)(3) の商品レビュー
第五章「豊玉姫」は、スペクタクル場面が相次いだ。非常に激しい戦闘を行う。90年代の諸星大二郎は「西遊妖猿伝」でも、かなりスペクタクル巨編を作るようになった。2000年代は一転して箱庭のような世界を作っていく。 出雲大社を彷彿させる一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)や、盟神探湯(...
第五章「豊玉姫」は、スペクタクル場面が相次いだ。非常に激しい戦闘を行う。90年代の諸星大二郎は「西遊妖猿伝」でも、かなりスペクタクル巨編を作るようになった。2000年代は一転して箱庭のような世界を作っていく。 出雲大社を彷彿させる一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)や、盟神探湯(くかたち)神事などがイキイキと描かれる。 どちらにせよ、海神記の世界では、わたつみの言葉(言霊)が、世界を導いていくのである。私は、ここまでの激しい戦闘は有り得ないと思っていた。闘いでなくとも、もっとほかの要因と結果的に宣託によって、人々を動かすことができるはずだと、思っていた。その私の思いを汲んだように、穴門の闘いの後に、海神のミケツを保護するオオタラシ姫は嵐の中で「海神よ、怒りを鎮めたまえ。何故、行く先々で戦を起こし大勢の海人や土地の人々を死なせなければならないのですか。常世はそうしなければ到達できない所なのでしょうか」と問う。 そして最期の誓約(うけい)で、オオタラシは「戦あるときは海神の荒魂を戴き、戦なきときは日の神の恩頼を戴き」と宣う。正に、縄文と弥生の神の合同のような気がする。そしてオオタラシは言う。「海神は戦をせずとも常世に行ける道を示してくださった」。私は、これも倭国大乱から倭国統一に至る道筋の1つだと思っている。諸星大二郎に賛成だ。 しかし、それでも著者の結論は出ていない。この本はこれで第2部が終わる。著者の構想は、この後吉備国を通り、大和にたどり着くという。七支刀が結果大和に保護されていた歴史がある限り、それは必然なのだろう。しかし二十数年間それは描かれないままだ。 邪馬台国がどうなったか、百済や新羅との同盟関係はどうなっているのか?作者は「それは興味の範囲外だ」とは言っているらしい。しかし、第3部では、必ず「倭国の精神的統一」が描かれるだろう。私は何年でも待つ。
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