新島襄 の商品レビュー
NHK大河ドラマで「八重の桜」を見ていて、大山捨松のことが気になり、その子孫の手になる伝記を読んだり、八重の兄、山本覚馬の伝記を読んだりしている。八重の夫、新島襄についてはなんの知識もなかったが、オダギリジョー演じるテレビでの襄は妻思いのやさしい男に描かれていた。本書はその襄の伝...
NHK大河ドラマで「八重の桜」を見ていて、大山捨松のことが気になり、その子孫の手になる伝記を読んだり、八重の兄、山本覚馬の伝記を読んだりしている。八重の夫、新島襄についてはなんの知識もなかったが、オダギリジョー演じるテレビでの襄は妻思いのやさしい男に描かれていた。本書はその襄の伝記で、ぼくが手にとったのも、おそらくはこれまでのものと違う評価がされているのではないかという予想があったからだが、予想通り、襄ファンからすれば手厳しい新島襄伝となっている。太田さんによれば、襄はある意味策士で、人によって違った顔を使い分けてきたという。それは、同志社をつくるときに、アメリカ社会に向けてはキリスト教の伝導の学校をつくるといいながら、日本国内向けにはそんなことはおくびにも出さず、それによって多くの人々の同情を得、寄付を募ることができた。それは天然なのか術策なのか。襄の生涯を見ていると、いつもそんなことを感じさせられる。たとえば、学生の授業ボイコットがあったとき、襄はこれは自分の不徳のせいだと言って、杖で自分の手をはれるまでたたく。テレビでもある意味見せ場だったが、太田さんは徳富蘇峰らの「大芝居」であったという評価を紹介する。かれは立派な教師だったかというと、学生をうならすような演説をしたわけでもなく、授業に対する学生の評判は決してよくなかった。キリスト神学を修めたにもかかわらず、キリスト教の教義に対する理解も浅薄であったという。自由な校風を謳ったにもかかわらず、同志社は芝居を見るのも禁止だとか、およそ自由な校風を感じさせない言い伝えがたくさん残っているそうだ。襄は10巻もの全集を残しているが、まともな著書はゼロだそうで、太田さんは襄をコピーライター、天性の演技者と形容する。たしかに本書を読んでいくと襄からそんな印象を受けるのはたしかである。ただ、かれは人当たりがよかったのか、多くの人を魅了したようだ。太田さん流に言えばそれも計算尽くであったことになる。当然と言えば当然だが、本書で八重が出てくるのはほんの数行である。襄は八重から影響はうけなかったのだろうか。
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