孟子 の商品レビュー
本書は、孟子が性善説であるとか、孟子の構成はこうだとかはいわない 言っているのは、2つ、必要であるのは、「敬」と「恥」であると また、あとがきにある言葉もいい 孟子で学ぶべきところといえば、あの信念に向かって何も恐れないという気力、迫力でしょう。 人間として一番大切なものは、...
本書は、孟子が性善説であるとか、孟子の構成はこうだとかはいわない 言っているのは、2つ、必要であるのは、「敬」と「恥」であると また、あとがきにある言葉もいい 孟子で学ぶべきところといえば、あの信念に向かって何も恐れないという気力、迫力でしょう。 人間として一番大切なものは、気迫である。気迫がなければ人間もその国も危ういと言われましたが孟子にはそれがある。 冒頭にある、父と子の内容を見るに本書を手にとった価値があると思います。 父子の間は善を責めず 父というものは、子に対して、あまり道義的要求をやかましくするものではない りっぱな人はなぜ自分の子どもに教えず、他人のもとに師事させるのか。 父が子に教えるからには、必ず父自身これが正しいことだと信じることに子に納得させ実行させようとする。それだけに、それが行われないとすると腹がたつ。子に対して腹を立てればかえってぶち壊しである。 子どもはこどもでなんだ親父、俺に道徳を責めるのか、自分はご立派というわけでもないじゃないかと。こうなると父子両方ともぶち壊し。これはいけない。 父は子どもの幼い頃からやかましく教えなければならないのかとなれば、それは間違いである。 父はあくまでも幼児の直接的な理想像であるのだから、子どものもつ本性である「敬」の目覚めを乱さないようにあることが肝心なところである。 人間というものは、4つの要素から成り立っている。徳性、知性・知能、技術、そして、習慣である。 愛だけでは人格として育たないのであります。愛と愛から出ずる配慮・世話だけでは人格は育たぬ。動物としては育つ。 人間が他の動物として違って、人格として、万物の霊長として育つためには、「愛」を要求するとともに、「敬」を欲す。 必ず自らかえりみる、己をかえりみる、己を修める これは孟子の真骨頂である 文化は決して全面的に意識されるものでもなければ、計画されるものでもない。われわれのすべての計画の無意識的背景が、また文化である 人間としての本質的なもの、基礎的なものができておれば、必要に応じて知識や技術は比較的容易に取得できるものであります。しかし、その逆はまったく容易ではありません。 今日の日本に何が欠けているかというと、資源でもない、経済力でも金融でもない、詰まるところ「人」である。人はどこにでも沢山いるわけですが、まさに、「多くある人の中にも人ぞ無き」であります。 今起こっているさまざまな問題は、これはすべて、人間が経験してきたことなんだ。過去の歴史の中にすべてあることで、にもかかわらず、歴史は、なんとか、発展してきおるので、今日の悩みも歴史が解決するというのです。 結局人を求めているということは、心を求めていることです。 すこし、肝心なところがくるって、もうすっかりものの芯というものを失ってしまっている。 急がば回れで、大変な回り道、あるいは、時間のかかる道でありますが、とにかく正しい思想、学問、歴史的・伝統的根拠のある正しい、優れた思想や学問、信仰というものを、できるだけ民間に復興すること、提唱することであります。 その道を尽くして死するものは、正命なり 羞恥心は、人間にとって重大な徳目である。場当たり主義でごまかしと小細工を弄する人間は羞恥心がないものである。自分の徳行や能力が人に及ばないのを恥ずかしく思わないような人間が、どうして人並みになれようか。 武士道とか任侠道とか、やっぱり根底はすべてここにあります。恥を知る。恥に耐えない。辱めを受けるということは、これはもう死より辛い。そういう恥をすることがいちばん根本の、いちばん情熱のある、いちばん生きた徳目になっておりました。 ちなみに、孟子七篇の目次は、以下のようになっています。ご参考まで 梁恵王章句 公孫丑章句 滕文公章句 離婁章句 萬章章句 告子章句 尽心章句 目次 第1章 父と子、そして教育 第2章 終末論と「孟子」の背景 第3章 「孟子」尽心章句を読む あとがき ISBN:9784569663678 出版社:PHP研究所 判型:文庫 ページ数:232ページ 定価:590円(本体) 発売日:2005年04月18日第1版第1刷
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知識や技術というものはあるにこしたことはない。これを発達させたから、偉大な今日の文明も生じたと言うことはわかる。しかし、これがなかったからといって、つまり、知識や技術が少々未開発だからといって、人間たることに、そう根本的な価値の影響はない。弘法大師も水がH2Oであるということはしらない。吉田松陰もそうだ。だからといって、空海や松蔭がバカだとは誰も言わない。それは、人間の本質ではないからだ。お母さんが、幾何も代数もしらない。でも、それは、お母さんの本質、子を愛し、守り、育てるといった本質になんの関係もない。本質的価値は徳性にあるのだ。人を愛することを知らない、人を助けることを知らない、人に報いることを知らない、勇気がない、不潔である、これらのことは大変なことであり、これは、どんなに知識や技術があっても人間的にダメだということになる。やはり、徳性が第一。これが本質である。 教育とは、職業的、社会的成功を得るためのものではない。どんどん変わっていく世の中で、現在の政治や産業や技術的事項を、ある世代が修得したとしても、次の世代では役に立たない。将来を担う世代が明日の進路を正しく見出しために要するものは、資料やニュースやくだらぬ進歩ではなく、恒久的な原理や人格、道徳心なのである。
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本書の目的は、題名どおりオブジェクト指向設計方法の解説することである。オブジェクト指向設計と一口に言っても、1)アーキテクチャを決定する2)オブジェクトを見つけ出す3)オブジェクトの責務を定義をする4)オブジェクト間の関係を見積もる5)オブジェクト指向言語でコードを書く(設計には...
本書の目的は、題名どおりオブジェクト指向設計方法の解説することである。オブジェクト指向設計と一口に言っても、1)アーキテクチャを決定する2)オブジェクトを見つけ出す3)オブジェクトの責務を定義をする4)オブジェクト間の関係を見積もる5)オブジェクト指向言語でコードを書く(設計にはコーディングを含めないこともある)6)1~5(もしくは1~4)を何度も繰り返し設計のレベルを上げるというようなことを実践しなければならない。つまり、オブジェクト指向設計を語るとは、上記ステップの詳細を語ることである。 本書の偉いところは、これをまともに行っていることである。だから、厚いし、退屈極まりない。しかも、ソフトの本なのにほとんどコードが出てこない。要は、本書を読むことに喜びはない。苦痛のみがある。読むのを止めようかと思ったが、そのときユークリッドの言葉である「幾何学に王道なし」を思い出した。オブジェクト指向に王道なし。ということで読み終えた。そして、5年前に読むべき本であったということを確信した。本書を読むタイミングは、オブジェクト指向設計に取り組みだして半年程度経過したときが良いと思う。それより前だと理解できないして、2年も経つとこの本から得られるものはない。そのような人に、お勧めする。
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この本は2回目。安岡正篤師の講和を本にしたもの。その当時、昭和30年前後の世相を大いに反映したもので、そういう意味でも興味深い。こうした古典を解説するに当時の世界情勢や日本の政治と照らし合わせる手法は、古典を活学、活きた学問として聞き手を飽きさせないものであろう。師は、現代をどの...
この本は2回目。安岡正篤師の講和を本にしたもの。その当時、昭和30年前後の世相を大いに反映したもので、そういう意味でも興味深い。こうした古典を解説するに当時の世界情勢や日本の政治と照らし合わせる手法は、古典を活学、活きた学問として聞き手を飽きさせないものであろう。師は、現代をどのように斬るのか。 また当時、東西冷戦に中にあっていかに左に警鐘をならしていた点も興味深い。
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