太平洋戦争と上海のユダヤ難民 の商品レビュー
アジアではフィリピンもまたユダヤ難民を好意的に受け入れた国だった。アメリカ国務長官代理が1938年12月13日に駐英臨時代理大使に送った電信は、マニュエル・ケソン大統領が、ミンダナオ島の開発のため、農業などへの従事を希望するユダヤ難民の入植のために、処女地を確保する用意がある、と...
アジアではフィリピンもまたユダヤ難民を好意的に受け入れた国だった。アメリカ国務長官代理が1938年12月13日に駐英臨時代理大使に送った電信は、マニュエル・ケソン大統領が、ミンダナオ島の開発のため、農業などへの従事を希望するユダヤ難民の入植のために、処女地を確保する用意がある、と述べたことを伝えている。また1939年2月、マニラの木原次太郎総領事代理が有田外相に送った報告によれば、フィリピン政府は、同国の資源の観点からユダヤ難民の大量移民は許容できないが、一定数に限り、ミンダナオ島など人口の少ない地域に条件付きえ移住を認めることは、人道上からも、また同国の再移植問題の点からも望ましいとして、毎年1万人を限度に入国を許可するとの決定を行った。この決定には、移住民が学術上の特殊技能を有すること、熟練農耕者であること、独立起業に必要な資力を有することなど、フィリピンに対して貢献しうる資格を有する、という条件が付加されていた。さらに同報告は、ユダヤ難民の積極的受け入れによってフィリピンは、ヨーロッパ先進農業国の農耕、市場、消費者間の相互助成原理などに接することができるものと期待されている、と結んでいる 。
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