完本 風狂始末 の商品レビュー
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ただ即きゆく‥ -2008.04.19記 この安東次男の「芭蕉連句評釈」にはじめて触れたのは、季刊雑誌「すばる」-集英社-の連載であった。 70年代末には月刊となっている「すばる」だが、季刊時代であった1970-S45-年6月の創刊から5.6年は毎号欠かさず書店から取り寄せていたかと記憶する。その創刊号で私の眼を惹きつけたのは、梅原猛の「神々の流竄」であり、もう一つがこの前書となる「芭蕉七部集評釈」であったのだが、当時の私にとってこの連載を読み遂せていくことは荷が勝ちすぎていたから、到底まともな読者であったと云える筈もない。ただ、ゆくゆくはこの鬱然たる樹海に迷い込んで存分に呼吸してみたいと思ったものだった。 本書「風狂始末-芭蕉連句評釈」-ちくま学芸文庫-巻末の解説で粟津則雄は、 「彼は、この座に身を投じ、それにとらわれ、とらわれることによって、そこでの連句のはこびを、あの緊迫した対話へ奪いとろうとする。そのとき、たとえば歌仙は、すでに巻きあげられたものとして眼前にあるものではなくなる。この対話を通して、再び新たに巻き始められるといったおもむきを呈するのである。対象にとらわれ、とらわれることによって対象とのあいだに緊迫した対話を生み出すことは、「鑑賞歳時記」においてすでにはっきりと見られる、安東氏の終始一貫して変わることのない姿勢であるが、対象が発句ではなく、たとえば歌仙である場合、彼はさらに強くさらに濃密にその場にとらわれることとなる。」と書いているが、私もまた叶わぬまでも、新たに巻き始められるとみえるこの濃密なる場に、ただ即きゆきたいものと願っている。
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