うさぎのミミリー の商品レビュー
さりげない日常を描い…
さりげない日常を描いていますが、いつの間にか引き込まれて読んでしまいます。「ありがとう」という感謝の気持ちと「幸せだ」と感じられる心の大切さを思い出させてくれます。
文庫OFF
初庄野潤三。 山の上の家の公開に合わせて図書館。 心がじんわりとして電車の中で涙が出た。 庄野潤三を知るきっかけとなった掲示板の奥様読書会から引用。 ここから↓ 『本の虫の本』(創元社)の一節「読書の守護神」から岡崎武志の言葉を引用します。 (前略) 読書の世界においては、...
初庄野潤三。 山の上の家の公開に合わせて図書館。 心がじんわりとして電車の中で涙が出た。 庄野潤三を知るきっかけとなった掲示板の奥様読書会から引用。 ここから↓ 『本の虫の本』(創元社)の一節「読書の守護神」から岡崎武志の言葉を引用します。 (前略) 読書の世界においては、私の場合、庄野潤三が守護天使だ。 これまで、職業柄(書評家、古本ライターを名乗る)数限りない作家や作品を読んでは、ときに紹介を務めてきたが、正直言って、世評は高いがピンと来ない作品、古典と言われながら何が書いてあるかわからない難解な本、どうも気が合わない作家とも出会って来た。 (中略) しかし、そんな時は庄野潤三のことを思う。 いやいや、何を言ってるんだ。 代表作『夕べの雲』を始め、庄野さんの作品なら、ドンピシャ、少しも狂いもなく、いつと自分の胸を深く撃つではないか。 自分は間違っていない。 自分の読む力を疑ってはならない。 そう思い直すことができるのは、庄野潤三という、早くに私を深く捉えて離さない作家がいるからだ。 いつでも庄野潤三に帰って行けばいい。 そう思えるからだ。 こんなに間違いない基準はない。 庄野潤三と読者としての私の関わりは、自分で編んだ『親子の時間──庄野潤三撰集』(夏葉社、2014年)ほかでくわしく書いたからくり返さない。 2009年9月に逝去した庄野潤三は、長く生田丘陵の上に建てた家に住んでいた(『夕べの雲』の舞台)。 私が結婚して、最初に住んだのが川崎市多摩区宿河原という町で、西側に小高い生田緑地がこんもりと視界を遮っていた。 まだ向ヶ丘遊園という遊園地があった頃で、大きな観覧車がカラカラ回っていた。 庄野潤三は、その丘陵地を一つ越えた山の上に住んでいた。 そのことを知っていた私は、とても畏れ多くて訪ねることをしなかったが、「この丘の向こうに庄野さんがいる」と思い、それだけで勇気づけられて来たのである。 夏葉社の依頼で、『親子の時間』という庄野潤三の家族小説を編むことになっていて、思いがけず、庄野さんがいない庄野家を訪ね、ご遺族と言葉を交わす光栄に浴した。 その後、夫人の千寿子さんは亡くなられたが、まるで庄野潤三の作品そのままの一家に接して、私の中の守護神ぶりは、ますます存在が大きくなっている。 私が思い描く自分の晩年は、書評も、本の紹介もしなくていい身分になったら、庄野さんの作品だけを身の回りに置いて、何度も何度も最初から、読み返し読み継ぐことだ。 怖いものなど、もう何もない。
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穏やかでほっこりとした幸せな空気が漂う日常。 ミミリーが跳ね、ご近所さんから頂きものしたり。長女がよい手紙が届いたり。
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「貝がらと海の音」から続く一連のこのエッセイも、フーちゃんが中学生になっていたりして時の流れの速さに驚く。 当初に比べて新鮮味はなくなってきたけれど、相変わらず幸せで平和な空気が漂う。 ミミリーって名前、かわいいな。 巻末の江國さんとの対談もいい。
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繰り返される毎日が、安心感を与えてくれる。大きな変化も驚くべき事件もここには出てこない。行きつけのお店、いつものメニュー、それが心地よい。
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第9回: 庄野潤三 『うさぎのミミリー』 http://ameblo.jp/pippu-t-takenoki/entry-10002524155.html
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