ジプシーの来た道 の商品レビュー
インドを出立していった原ジプシーの民も、カースト制度の呪縛に縛られていたはずであり、下位のカーストかアウトカースト(不可触民)だったことはほぼ間違いない。
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アラン・ドロン主演のフランス映画に『ル・ジタン』というのがあった。いつもはきちっとしたスーツ姿の彼が、革ジャンを着て、髪を伸ばし、めずらしく髭を生やした姿が新鮮だった。都会的で孤独でクールな役柄を演じるのが得意な彼が、フランス社会に入れられない共同体の桎梏を背負って行動するところに彼らしくない人間くささのようなものが出ていて記憶に残っている。因みに、「ジタン」はフランス語で「ジプシー」を意味する。 スペインを訪れたのは、バルセロナ・オリンピックが終わった後だったが、スペインでは「ヒターノ」と呼ばれる「ジプシー」がオリンピックの頃は観光客をねらってヨーロッパ中から集まってきていたと聞いた。あまり歓迎されることのない彼らだが、スペインの観光資源のひとつともなっている「フラメンコ」は、アンダルシア地方に伝わる音楽と彼ら「ジプシー」と呼ばれる民族の音楽性が融合してできた奇蹟の賜のような音楽である。 「ジプシー」も「ジタン」、「ヒターノ」も語源は同じで、“Egyptian”(エジプトから来た人)の意味である。家を持たず、一箇所に定住することのない彼らがいつ頃からヨーロッパに現れたのかは確かではないが、黒髪や黒い瞳からヨーロッパ人はエジプト人を想像したのかもしれない。しかし、どうやらエジプトとは関係なく、今ではインド北西部が彼らの故郷であろうと考えられている。言い遅れたが、「ジプシー」という言葉は現在では差別的と考えられ、彼らの共通語とする「ロマ(ロマニ)語」からとった「ロマ」の人々と呼ぶことが多い。 そのインド北西部からアルメニアを通って、ヨーロッパ各地に入ってきたと考えられる「ジプシー」の跡を訪ねて、現地調査を試みた日本人がいた。その旅の記録をまとめたのがこの本である。もともとはレコード・ディレクターで、あの小沢昭一と組んで『日本の放浪芸』シリーズを完成させた人と聞くと、なにやら放っておけなくなってさっそく読んでみた。 日本の放浪芸、例えば「猿回し」のような門付け芸が、日本独自のものではなく、そのルーツが大陸にあるのではないかと考えた著者と小沢氏は、中国に渡り、その事実を突き止めようとするのだが、その射程の向こうにインドが見えたとき、放浪する被差別集団としての「ジプシー」の姿が日本の門付け芸と重なった。網野善彦による中世史を待つまでもなく放浪する遊芸者の集団はこの国でも差別を受けてきたのはよく知られている事実である。 著者たちはアルメニアで、「ジプシー」を表す「ボーシャ」の人々の痕跡を辿る。今では定住し籠つくりを営む人々は、ロマの言葉でなくアルメニア語をしゃべり、その出自を明らかにしたくなさそうだったが、現地の協力者の助けを得て、著者たちは彼らに伝わる歌の録音をすることを得る。インドにおいても事は同じで、人を得て、協力してくれる人々に出会う。ワールド・ミュージックと呼ばれる世界の民族音楽を録音する中で、様々な階層の人々と接してきた経験が生きているのだろう。 「ジプシー」と呼ばれる人々のルーツを探るという学術書ではなく、彼らの中に入り、寝食を共にする中で、貴重な民族音楽を記録し、定住民族にはない独特の行動様式や文化を紹介する音楽紀行である。インドに今も残るカースト制の下でアウト・カーストとされる彼らの、放浪する人々独特の物を持たない生活の仕方や、「清潔感」と「清浄感」を区別する「穢れ」意識など、教えられることも多い。ワールド・ミュージックや『日本の放浪芸』に興味を持つ人にはたまらない一冊である。
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