プリーモ・レーヴィへの旅 の商品レビュー
徐京植さんの『秤にかけてはならない』で、このプリーモ・レーヴィを訪ねた旅のことを書いたという本を読みたくなって、図書館で借りてきた。 プリーモ・レーヴィは、イタリア系のユダヤ人。アウシュヴィッツを生きのびた人である。 ▼ピエモンテに、トリノに、プリーモ・レーヴィの「根」があっ...
徐京植さんの『秤にかけてはならない』で、このプリーモ・レーヴィを訪ねた旅のことを書いたという本を読みたくなって、図書館で借りてきた。 プリーモ・レーヴィは、イタリア系のユダヤ人。アウシュヴィッツを生きのびた人である。 ▼ピエモンテに、トリノに、プリーモ・レーヴィの「根」があった。住み慣れた家、身についた仕事、幼なじみや隣近所の人々、耳慣れた言葉、思い出の染み着いた街路、市内を流れる川や市を遠くとりまく山々、そこに吹く風、反射する光…。「根」とはそれらすべてのことだ。人間らしい生にとってかけがえのないもののことである。考えてもみよ。普通の人々にとって、その「根」を自らの手で抜き去ることがどんなに困難なことか。だが、災厄はそこにつけ込んでくる。(p.38) ここを読んでいて、『無名戦没者たちの声』に出てきた「二つの地図」のことを思った。特攻で命を散らした渡辺静さんがノートに丁寧に描きのこした、ふるさとの地図。中国系マレーシア人の簫嬌さんが描いた、日本軍によって一夜にして廃墟となった今はなきふるさとの村の地図。自らの手で抜き去ることの難しいその「根」を、プリーモ・レーヴィも、渡辺静さんも、簫嬌さんも、根こぎにされたのだ、と思った。 (この本のことは、次の『We』169号の「乱読大魔王日記」でも書いた。)
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