生きている兵隊 伏字復元版 の商品レビュー
作者は南京陥落後に現地へ渡り、そこで聞いた話をもとに本書を執筆したという。聞いた話だけで兵隊の様々な心理をここまで描出できるのは、作者の力量か。
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日中戦争に取材した作品 上海を出発した日本軍が南京攻略を果たしたのち 次の戦地に出発するまでを書いたもの 民間人に化けたゲリラから常に脅かされ また常に銃弾飛び交うなかで日常生活を送っている兵士たちには 生と死の境目がひどくあいまいなものになり 死の恐怖も、殺戮の罪悪感も感じられ...
日中戦争に取材した作品 上海を出発した日本軍が南京攻略を果たしたのち 次の戦地に出発するまでを書いたもの 民間人に化けたゲリラから常に脅かされ また常に銃弾飛び交うなかで日常生活を送っている兵士たちには 生と死の境目がひどくあいまいなものになり 死の恐怖も、殺戮の罪悪感も感じられなくなるのだった ふとそのことに気づいたとき 彼らはそれでも人間であらんとするため、何かにすがりついたり 何かを軽蔑したりすることになる 告発の意図はなかったようだが 女子供を殺害する…ズバリ言って虐殺や 戦争神経症、今で言うPTSDなど描写されており 発表直後(昭和13)発禁になった 南京攻略の直後が、日本にとっては唯一、事変収集のチャンスだったが 国民政府の挑発に、日本外相は態度を硬化させ 時の総理大臣、近衛文麿による「対手とせず」声明へ 至らしめることとなった 蒋介石には、日本軍を疲弊させつつ 介入の口実をアメリカに与える意図もあったと思う
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※このレビューにはネタバレを含みます
1999年刊。後備で南京攻略戦(日中戦争)に従軍した小説家の体験的小説。生々しく、現場でなければ想像しにくい場面を描写し、体験のサルベージは明白。例えば、中国人の人民からの徴用と称した略奪(略奪物資が牛・食糧)、中国人を人間とは見てない日本軍人の台詞、日本人女衒による日本女性による慰安所(=売春宿)、中国人女衒による慰安所などが存在し日本軍人が利用、スパイ(証拠は不備)とされた中国人少女を銃剣で刺殺(刺殺方法・スパイ認定の証拠方法)、日本軍を見た中国人女性の逃走場面(強姦や強姦致死を恐れる態度)他。 また、伏字以外にも残虐場面(特に対中)はあるが、読めない程のそれでもない。特に、伏字には戦闘終了後の酒保にて「生きて居られるのは有難い」と独白する台詞までが含まれているのだ。かかる本書が伏字で発売後、直ちに発禁処分(初出1938年雑誌中央公論)、かつ執行猶予付だが有罪判決を食らっている。言論に対する威嚇効果十分であり、当時の言論・小説発表の空気感を雄弁に語る。なお、半藤一利氏の解説が秀逸。殊に陸軍秘密文書第四〇四号の指摘は良。
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○発禁処分になった芥川賞作家の作品。生々しい日中戦争での兵士の姿。 解説の兵藤一利さんによれば、昭和十三年の中央公論掲載の前、昭和十二年に日中戦争がはじまった後言論統制が敷かれたとき、戦意を高めるためのルポを各誌競って掲載するようになった。この二年前に芥川賞をとっていた新進気鋭の...
○発禁処分になった芥川賞作家の作品。生々しい日中戦争での兵士の姿。 解説の兵藤一利さんによれば、昭和十三年の中央公論掲載の前、昭和十二年に日中戦争がはじまった後言論統制が敷かれたとき、戦意を高めるためのルポを各誌競って掲載するようになった。この二年前に芥川賞をとっていた新進気鋭の石川達三もこの流れに乗って同行取材をし書きあげたのだという。 しかし、事前に検閲に出したものの、即日発売禁止処分となり、陽の目を見たのは戦後。いくら伏字があったとしても、石川の書く文章の生々しさは、当時国民の戦意喪失を恐れた当局が見逃さないわけがなかった。 物語は、天津近くの大沽(タークー)に高島本部隊が上陸し、天津から上海包囲のため大連へついたところからはじまる。 火事を起こした中国の青年を殺したり、牛を譲れといって断られたおばあさんを殺し、若い娘は強姦目的で探しに行って結果殺したり、など、移動の合間でもピリッとした部分よりも緩めの部分も描かれている。 どのような点が生々しかったか。 もちろん、戦争ルポであるからそれ相応の生々しさは求められると思う。 けれど、戦士もただの一般人だったわけなので、教員をやっていた人もいれば医者をやっていた人も、僧侶をやっていた人もいる。そんな彼らが目の前の殺戮を見てなんとも思わず、むしろ殺さざるにはいられない心情を作り出したことを描いたのは特筆に値すると思う。現場に行かなければわからないし経験者そのそばにいる人にしかわからない心情だったと思う。 また、(この本は伏字を復元したバージョンなのだが、)兵士が緩み切っている部分や、大連などの重要な地名、女性を殺すなど誤解を与えたり同情を誘うような表現は、自分たちの予想しない部分まで伏字にしてあるのが生々しい点でもある。描写が生々しいということもあろうが、いまそれほど問題にならないような表現でも、当時戦時にあってはその表現が国益にはならないと判断された証拠である。 岩波新書「戦争と検閲 ~石川達三を読み直す~」の書評でも書いたが、伏字が多く精一杯当時の様子を伝えなかった石川としては、知っていたことだとしてもつらかったのではないか、と改めて感じる。
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右にも左にも振れずに、戦争とは、敗けるとは、世界とはというのを考えるといい。 どうしたって「現実」はあるのだから、それを真正面から見なくては、どんな危険も回避しようがないのだから。
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第一回芥川賞を受賞して2年、新鋭作家だった石川が1937年の年末からおこなった約2週間の従軍取材を元にして書いた作品。南京で8日、上海で4日取材したあと、すぐに帰国し10日かけ330枚を一気に書き上げたというだけあって、描写は生々しい。補給物資は現地調達。お金も払ってお願いすると...
第一回芥川賞を受賞して2年、新鋭作家だった石川が1937年の年末からおこなった約2週間の従軍取材を元にして書いた作品。南京で8日、上海で4日取材したあと、すぐに帰国し10日かけ330枚を一気に書き上げたというだけあって、描写は生々しい。補給物資は現地調達。お金も払ってお願いするという方法ではなく、無理矢理強奪する。スパイと見るやすぐに人を殺す。母親が殺されて泣いている若い女がうるさいからと殺す。母親が殺された赤ん坊を、そのままだと生きたまま犬に食い殺されるからといって、仲間の兵隊に殺した方が良いとアドバイスする。慰安所の様子も書いてあって、現地の女性がそこにいたことがわかる。 日本の部隊が南京へと進撃したとき、蒋介石の軍隊は城内に火をつけて退却。その際、一般市民がまだ20万人も城内に残されていたというが、彼らはいったいどこへ行ったのだろう。そのことはわからない。 日本兵が中国でいかにひどい戦いをしていたのか、ということが手に取るようにわかるし、実際にたくさんの現地人を殺していたことや、慰安婦の実態についても、生々しく把握できる。 この話は一応、フィクションらしいが、筋書き以外の描写は本当だと考えるのが自然。とすると30万人は言い過ぎにしても、殺人が日常茶飯事だったということは確かなんだろう。 なぜ今までこれを読まなかったのか。もっと早く読んでおけば良かった。
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「何だ、女が泣いとるぜえ」と女好きな笠原伍長が言った。「姑娘(クーニャ)だぞ!」 「何だってこんな所に居るんだろうね」倉田少尉が静かな声でひとりごとを言った。 平尾一等兵がやや遠くの方でこの会話を聞いていたが、どれ、調べてやると言って壕の上にとびあがり、小走りに民家の方に進んだ。...
「何だ、女が泣いとるぜえ」と女好きな笠原伍長が言った。「姑娘(クーニャ)だぞ!」 「何だってこんな所に居るんだろうね」倉田少尉が静かな声でひとりごとを言った。 平尾一等兵がやや遠くの方でこの会話を聞いていたが、どれ、調べてやると言って壕の上にとびあがり、小走りに民家の方に進んだ。 「危ないぞ、気をつけろ」倉田少尉が振り向いて注意した。 「俺も行こうッと!」 笠原伍長がそう言って壕の上に駆け上がり、下を向いてにこにこと笑った。 兵たちがじっと見ていると2人は倒れた表の扉から土間へずかずかと入って暗がりに見えなくなった。そして泣き声が止んだ。待っている兵はいらいらしてきた。それほど彼等は若い女に接しなかったし、戦場に居ると不思議に女のことばかり考えるものであった。 が、やがて笠原と平尾とはさっきの表口からのそのそと出て来た。そして元の壕に飛び降りると平尾はこう言った。 「母親がな、弾丸を喰ってまいっているんだよ。十七八のクーニャだ。可哀想にな」 「いい娘(こ)かい?」と1人の兵が言った。 「ああ、良い娘だよ」平尾はなぜか憤然とした調子で答えた。(82p) こういう追撃戦ではどの部隊でも捕虜の始末に困るのであった。自分たちがこれから必死な戦闘にかかるというのに警備をしながら捕虜を連れて歩くわけにはいかない。最も簡単に処置をつける方法は殺すことである。しかし一旦つれて来ると殺すのにも気骨が折れてならない。「捕虜はとらえたらその場で殺せ」それは特に命令というわけではなかったが、大体そういう方針が上部から示された。 笠原伍長はこういう場合にあって、やはり勇敢にそれを実行した。彼は数珠つなぎにした十三人を片ぱしから順々に斬っていった。(115p) 有名な石川達三の発禁本である。1935年に芥川賞を獲った石川を従軍記者にして送ったのだが、出来た本は日本軍にとってとんでもない作品だったので直ちに発禁、石川も禁固四カ月執行猶予の刑を受けた。読んでみて初めて知ったのであるが、これは1937年のいわゆる南京攻略戦を兵士の立場から詳細に描いたほとんどルポルタージュと言っていい「従軍記」なのである。 とはいえ、石川達三は実際の戦闘には参加していない。1938年1月に南京に着いた石川は、南京で八日、上海で四日精力的に取材を済ませると、直ちに帰国、2月1日から書き始めて11日紀元節の未明に脱稿したという。「中央公論」3月号は2月17日に配本されたが、出版社は流石に伏字を用いた。しかし、あまりにも急いだために伏字の相違が発生した。それが当局を騙すための目くらましにも取られたし、伏字でないところも問題の所が多くあった。 例えば、私が引用した1番目のそれには伏字は一つも使われていない。しかしこれは笠原たちは姑娘を強姦したととらえる方が自然である。 2番目の引用には伏字が多く使われていた。しかし、注意して読めば何が書かれてあったかはもし伏字で読めなくても明白であっただろう。 読めばわかるが、のちに東京裁判で出てきた事実と比べれば、この作品には戦争犯罪の告発の意図はほとんど無かったと言っていいだろう。それよりも、小説としての主眼は兵士が自らを省みて、自分を含めて人の命を簡単に殺すようになっていることの葛藤にあった。(「敵の命をゴミ屑のように軽蔑すると同時に自分の命をも全く軽蔑しているようであった」108p)時には鬱々と、時にはさっぱりと自覚してゆくのを記録している。多分そのために必要な山のように聞いた兵士たちの生の声を、彼らの悩みがわかるように再構成したのが、この小説なのだ。私は「生の声」そのもので、加工はしていないと思う。それでないと、実際の場面に遭遇していないのに、初めての従軍記者がここまで生々しく描写出来ない。 現代の若者にとって、この小説は途轍もないインパクトがありそうだ。何故なら南京(大)虐殺を日本側から描いた映画はおろか、小説も戦後69年、まだ存在していないからである。 小説を読んで「真実」があるかどうか、は読んだ当人が判断することだ。しかし、その前提として広く読まれることが必要だ。そして、まだ遅くはない。これを原作とした「忠実な映画化」を、日本は実現するべきではないかと思う。ナチスの戦争責任を国家的規模で追求して来たドイツやポーランド、チェコでさえ、近年になってやっと普通の市民の戦時下を描き始めたのだ。いわんや日本をや。
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日中戦争を現場の人間の目から書いた貴重な作品。 当時、なぜ発禁処分になったのか、そして現在の中国で読み継がれるのは何故なのか。 それは戦争の有り様を、正確に描写したいるからでは無いのだろうか。 どちらの目線でもなく、その時を切り取ったからではないのだろうか。 そんな作品に思えてな...
日中戦争を現場の人間の目から書いた貴重な作品。 当時、なぜ発禁処分になったのか、そして現在の中国で読み継がれるのは何故なのか。 それは戦争の有り様を、正確に描写したいるからでは無いのだろうか。 どちらの目線でもなく、その時を切り取ったからではないのだろうか。 そんな作品に思えてならない
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日中戦争における南京戦を題材に 兵ら個々人の思想や態度の移り変わりを描く小説。 短い取材期間に従軍して取材した内容を ベースにしているためか、ややひいた論調ではあるが 一人ひとりの個性や葛藤、戦場と日常をうまく対比しており 読み物として面白い。 こうした書物が検閲の対象となったと...
日中戦争における南京戦を題材に 兵ら個々人の思想や態度の移り変わりを描く小説。 短い取材期間に従軍して取材した内容を ベースにしているためか、ややひいた論調ではあるが 一人ひとりの個性や葛藤、戦場と日常をうまく対比しており 読み物として面白い。 こうした書物が検閲の対象となったという 出来事とセットで理解したい一冊。
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戦争を題材に、お涙頂戴を描く小説ではない。 もちろんノンフィクションというわけでもない。 『生きている兵隊』がそのルポルタージュ的な手法によって描いているのは、日中戦争の戦場やそこで日本兵が行った暴虐の有り様ではない。したがって、読者はそこに、歴史的な事実として語られていること...
戦争を題材に、お涙頂戴を描く小説ではない。 もちろんノンフィクションというわけでもない。 『生きている兵隊』がそのルポルタージュ的な手法によって描いているのは、日中戦争の戦場やそこで日本兵が行った暴虐の有り様ではない。したがって、読者はそこに、歴史的な事実として語られていることを当てはめるべきではない。 この作品の価値は、戦争について、しばしば皇国・日本にまつわる不都合な事柄を含む形で描いている点ばかりでなく、戦場で人の生命がいかに軽蔑されるかということや、そのように生命を軽蔑することで人がいかに戦争になれていくかということを描いている点にあるのではない。 当然のことながら、当時新聞などに発表された他の作品や記事が、あまりにも「画一的な戦争」を描くことに反発し、検閲の対象となることが明らかな内容であるにもかかわらず果敢に描いたことは、それだけでも評価に値する。 しかし、今ここで重要なのはそうしたチャレンジングスピリットではなく、そのような動機から描かれた作品が、戦争の全体というよりは細部を、“記録的”、“典型/類型的”に描写しているということである。 そもそも、小説とは言葉という間接的なものによって描かれるわけであるから、どれほど事実に忠実に描いたところで、真実を直に描くことは出来ない。 したがって、小説に可能なのは、「真実らしく」描くことでしかない。 その手段として、石川はルポルタージュ的に、細部を扱うことを選んだのである。 登場人物達はいかにも類型的に描かれており、その心情もあくまで類型の内側で展開される。 誰かを殺すことが淡々と描かれ、誰かが殺されることはそれ以上に簡単に描かれる。 「生命が軽蔑されている」と書かれていることよりも、はるかに明瞭に作品の描写は人の生命を軽蔑している。 多くの伏字箇所がある(現在は復元されている)が、それらの部分をいくら伏せたところで、この作品の描写のありかたを覆い隠し尽くせるはずはない。 その意味で、この作品は発禁にされるしかなかったと言えるであろう。
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