日本語で生きるとは の商品レビュー
愚直であり、あるいは無骨であり、不器用な論理展開の中に凄みを感じる。片岡義男はこちらに手加減しない。少しでも生じうる曖昧さをとことんまで消去し、次々と言葉を繰り出して説明を重ねる。彼の論述はしたがってかなりくどく、長ったらしく感じられることもある。しかし片岡はそうした書きぶりの中...
愚直であり、あるいは無骨であり、不器用な論理展開の中に凄みを感じる。片岡義男はこちらに手加減しない。少しでも生じうる曖昧さをとことんまで消去し、次々と言葉を繰り出して説明を重ねる。彼の論述はしたがってかなりくどく、長ったらしく感じられることもある。しかし片岡はそうした書きぶりの中で図らずも日本語で論述すること(それも、片岡のような英語的資質の持ち主が無理して日本語の文脈で論じること)の困難を語っているようにも感じられる。正直、読んでいてキツいものを感じた。だが読み返して彼の論述からもっと深く学びたいと思う
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どんなに小さな一言であっても関係の場を離れることができず、どこまでも引きずってしまう言葉から、場ではとらえられない言葉へと出て行くには、至難のことだといってよい。 英語の音素45個のうち25個は、日本人が生まれ育っていく過程のどこにおいても、日常的に聞いたことはなく、したがっ...
どんなに小さな一言であっても関係の場を離れることができず、どこまでも引きずってしまう言葉から、場ではとらえられない言葉へと出て行くには、至難のことだといってよい。 英語の音素45個のうち25個は、日本人が生まれ育っていく過程のどこにおいても、日常的に聞いたことはなく、したがって自分の口から出したこともない音だ。それゆえに、正しい英語の音を聞いても正確には聞き取れないし、自分で正確な音を出すこともできない。その英語はどんな音でしたかと訊かれたら、ペラペラの英語でしたとしか答えようがない。 日本語は関係の維持や調整のための言葉だ。 日本語は話し手を世界の中心に据えた言葉だ。何事も話し手の視点でとらえられ理解され、すべての表現はその話し手の認識からなされる。
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英語と日本語は正反対。音楽好きな時分にとって、洋楽と邦楽・洋画と邦画の関係について考えることができました。良書。
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