轟老人の遺言書 の商品レビュー
物語は、中之島図書館で主人公の私と、轟健策という老人の出会いから始まる。私は6回連続して司法試験に落ちているフリーター。毎日通って閉館の9時まで試験勉強をしていた。図書館には常連客も多く、その一人が轟老人だった。老人は毎日地図を飽きもせず読んでいた。そして、月に一度か二度老人に...
物語は、中之島図書館で主人公の私と、轟健策という老人の出会いから始まる。私は6回連続して司法試験に落ちているフリーター。毎日通って閉館の9時まで試験勉強をしていた。図書館には常連客も多く、その一人が轟老人だった。老人は毎日地図を飽きもせず読んでいた。そして、月に一度か二度老人に誘われてご馳走になった。48歳のとき妻を亡くし一男二女を育てたこと。58歳になったとき趣味の句会で一人の女性を好きになり、結婚を決意したが、相続が少なくなるという理由で子供たちに反対されたこと。そのことに激怒し、大阪天神橋で商っていた店の権利から不動産一切合切子供たちに分け与えて再婚したが、その妻も亡くなったこと。財産狙いだと口を極めて反対した相手が、老人よりも遥かに財産家だったため、子供たちがその財産を狙っていること等々。老人はとわずかたりに身の上話をした。 しかし、7度目の司法試験に合格した私は弁護士事務所に勤務。中之島図書館も通わなくなり、轟老人とも疎遠になった。そんなある日、勤務先の弁護士事務所に轟老人が訪ねてきた。自分は癌で余命幾ばくもないから、3通の遺言状を息子とちに手渡してくれという依頼だった。 しばらくして、長男から父親が死亡したから預けてある遺言状を持ってくるようにという電話がかかる。死亡して半日にもたたない通夜の席だというのにと私は思いつつ、老人から預かった3通の遺言状をそれぞれの子供たちに手渡した。 ひったくるようにして受け取って読み始めた彼らから「…???」いくつもの無言の行列が、盛夏の部屋中に満ち渡っていく。欲の皮の張りつめた兄弟が見た遺書状には意味不明な文字の羅列やパズルのような虫食い枠が書かれていた。それは、暗号で書かれた遺言状だった。 長男の遺書は、「私部原合養流高米撫 行多羅賀上須」 長女は、「市海火河六父水陽根多比牛子 方修名生町加」 そして、次女は、「□■ ■□ ■■□ ■□ □■ ■□ □■■ □■■ □■■ □■ ■□□ □■■ □■ ■□ 阪知鹿群兵宮福岡青茨岡奈石埼」。 それぞれの最後に二十六木翁記という署名がされている。私は、推理を働かして二十六木は二十を分解して十十六(トウ,トウ、ロク、キ)と読み解いた。 さてさて、欲望渦巻く現代社会では、相続問題は兄弟間で骨肉の争いになるのは必見。この醜い争いに轟老人はどの様に対処したか。この暗号を解けばすぐわかるのだが……。 さて、国民生活白書(平成10年版)によると、世代別の金融資産の割合は、1975年には40歳代・50歳代・60歳以上のいずれの世代も約25%となっており概ね均衡していたが、1985年に50歳代・60歳以上の割合が増加し、1995年には60歳以上の割合が全体の約半分を占めるに至っている。現在の高齢者は、高度成長時代には子供のために働き老後も節約して溜めて遺産を残した。しかし、もうすぐ高齢者となる「団塊の世代」は、国民生活白書(平成10年版)も指摘するように、従来の高齢者とは異なる価値観を有し、「自分の財産は残すよりも自分で使う」や「豊かな老後生活を楽しむ」という米国系のライフスタイルに変えつつある。 高齢者は社会から隠居するものという常識は、もうすぐ財力を武器にした「老人パワー」で覆されるだろうと私は確信している。
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