夜明けの睡魔 の商品レビュー
ミステリ批評作品の白…
ミステリ批評作品の白眉。真摯に本を読む姿勢に惹かれる。
文庫OFF
著者の名前は前から知っていながら瀬戸川猛資氏の著作は中々読めていなかった。ここ最近ネットでも氏の再評価が行われている事から氏のミステリー評論を集めた本書を買って読んで見たけども、本当に面白い! 猛資氏の博覧強記ぶりもさる事ながら、ミステリーの作品の世界を誘ってくれる文章に引き込...
著者の名前は前から知っていながら瀬戸川猛資氏の著作は中々読めていなかった。ここ最近ネットでも氏の再評価が行われている事から氏のミステリー評論を集めた本書を買って読んで見たけども、本当に面白い! 猛資氏の博覧強記ぶりもさる事ながら、ミステリーの作品の世界を誘ってくれる文章に引き込まれてしまいました
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ミステリファンの間では広く知られる伝説的な書評集。著者の瀬戸川さんは早逝されたが、同窓の北村薫さんはじめ、多くのミステリ作家、特に新本格派の作家たちが氏の評論に影響を受けたことを語っている。 早川書房の『ミステリマガジン』で「夜明けの睡魔」の連載が開始されたのが1980年。当然...
ミステリファンの間では広く知られる伝説的な書評集。著者の瀬戸川さんは早逝されたが、同窓の北村薫さんはじめ、多くのミステリ作家、特に新本格派の作家たちが氏の評論に影響を受けたことを語っている。 早川書房の『ミステリマガジン』で「夜明けの睡魔」の連載が開始されたのが1980年。当然、私はリアルタイムでは知らず、20年ほど前、文庫になって初めて手にした。1960〜70年代の作品の紹介が多く、その当時でさえ絶版ものが多々あったので、本書を読みつつ、図書館や神保町を歩き回ったのが懐かしい。『ホッグ連続殺人』はまだ押入れのどこかにあるだろうし、私がジョン・ディクスン・カーを好きなのは間違いなく瀬戸川さんの評論によるところが大きい。 今回懐かしく読み返してみて、瀬戸川さんが、ミステリ評論をしつつ、意外なほど「文学」を意識していることにも気がついた。早く喫茶店で珈琲を片手に、古き良き翻訳ミステリにどっぷりと浸かれる社会に戻ってほしいと思う。息の詰まるような昨今、それまではせめて自宅で、コリン・デクスター、ロスマク、ピーター・ラヴゼイ…お気に入りの作家たちの、息をのむようなミステリでくつろぎたい。
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これは史上稀に見る大傑作評論・エッセイである。全てのミステリ評論家は本書をバイブルとして座右に置く事を義務付けるべきだ。 入り込んでいきやすい文章と作品に対する着眼点の鋭さ。これは本書が数十年前に書かれた事実を忘れさせてしまう。 特にロス・マクドナルドは本格ミステリ作家であるだな...
これは史上稀に見る大傑作評論・エッセイである。全てのミステリ評論家は本書をバイブルとして座右に置く事を義務付けるべきだ。 入り込んでいきやすい文章と作品に対する着眼点の鋭さ。これは本書が数十年前に書かれた事実を忘れさせてしまう。 特にロス・マクドナルドは本格ミステリ作家であるだなんて提言は、昨今正にそのような再評価が成されている状況を鑑みるとその先見性に驚嘆そして戦慄を覚えたし、『赤毛のレドメイン家』の分析も、正に眼からウロコ物であった。 享年51歳。改めて早過ぎる死だと痛感した。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
1987年に出版された本。私が購入したのは1999年に創元ライブラリで出版された版のものであり,2018年に出た第四版。もともとの出版が1987年であり,雑誌に連載されていたのが1982年頃の書評もあるため,内容はかなり古いものになっている。 背表紙に書いてある本書の紹介では「本当に面白い作品を,独特の語り口で紹介しようと試み」とある。解説では法月綸太郎が絶賛。読む前のハードルが非常に上がってしまった。 「夜明けの睡魔」,「昨日の睡魔」,「明日の睡魔」の3つの章で構成されている。「夜明けの睡魔」では,海外ミステリの翻訳が年間200冊近くあった1985年頃を背景に「本当に面白いミステリを紹介する」ことを目的としたブックガイドになっている。紹介されているミステリには「キドリントンから消えた娘」や「黒後家蜘蛛の会」,「殺人交差点」,「ホッグ連続殺人」などの読んだことがあるミステリもあるが,大半は読んだことがないもの。この本を読んで「星を継ぐもの」や「さむけ」などの古典の名作を改めて読みたいと感じた。しかし,紹介されている本の中には,マイナーな本も多く,絶版となっているものも多い様子。読みたいと思っても読めないのはつらい。エドウィン・コーリィの「日本核武装計画」を読みたいと思ったが,なかなか読めないのではないかと思う。当時の最新のミステリの紹介がメインなので,30年以上経って古臭くなってしまっているのが難点か。 「昨日の睡魔」は古典を取り上げる。これはさすがに読んだことがある作品が多い。「Yの悲劇」,「赤い館の秘密」,「赤毛のㇾドメイン家」,「アクロイド殺し」,「四つの署名」,「幻の女」など読んだことがある古典の紹介から始まる。後半は「隠れた作品」の紹介になってくるので読んだことがない作品が多く,これまた読むのが難しそうな手に入りにくそうな作品の紹介が多い。 最後が「明日の睡魔」。これは3つしかなく,「ルース・レンデル」,「ウィル・ハリス」,「エルモア・レナード」という作家を紹介して終わり。ルース・レンデル以外は聞いたことがない。ルース・レンデルですら読んだことがないというありさま。この3編はあまり楽しめず。 総合的な感想は,期待が高すぎたので,期待ほどではなかったがそれなりに楽しめたというイメージ。ブックガイドである以上,「アガサ・クリスティ―完全攻略」のように,手に入りにくい作品を読者に読みたくなるように紹介するというものが理想。しかし,「夜明けの睡魔」はそもそも手に入りにくい本を紹介しているので読みたくても読めない。どちらかというと読んだことのある古典などの紹介が,「そういう読み方もあるか」とか「そうそう」などと感じて楽しむことができた。★3かな。
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≪わたしが題名にこだわるのは、題名は作品の大事な顔だと考えているからである。純粋にオリジナルな、イマジネーションを喚起する優れたタイトルは、中身に関係なく、それだけで称賛されるべきものだと思う。≫ この文章にとても救われた。 TwitterのTLでよく「タイトルが決まらない」「タ...
≪わたしが題名にこだわるのは、題名は作品の大事な顔だと考えているからである。純粋にオリジナルな、イマジネーションを喚起する優れたタイトルは、中身に関係なく、それだけで称賛されるべきものだと思う。≫ この文章にとても救われた。 TwitterのTLでよく「タイトルが決まらない」「タイトルが決められない」と嘆いている方をちらほら見かける。その度に不思議で仕方ないのだ。なぜ先に決めない、考えない、考えながら書かないのだろうかと。 わたしも著者と同じ考えだ。ゆえに悩むし、決まらなければ先に進めない。候補があって決めきれないままの場合は除くが、書きあがるその時までタイトルが決まらないと不安で仕方ない。 内容とタイトルはあっているのだろうか。伝わるなにかがあるだろうか、と。 素人の二次創作で、pixivでの評価などほとんど貰えないに等しい、粗末な腕ではあるが、書くことが楽しく、そしてなにかを伝えたいから書く。プロの作家さんのようにその作品にメッセージを込めるなど大それたことではない。ただこのネタいいでしょ?!という思いだ。そして拙すぎて本文では伝わらないかもしれない。ダイレクトに届いて欲しい。と願いを込めて、話に愛着を持って欲しい。気に入ってもらえたら嬉しい。と考えながらわたしはタイトルをつける。 ○○な話。とタイトルなのかあらすじなのかわからないタイトルが悪いとは言わない。プロの作品でもそのタイトル意味あるの?と首をかしげる物もたくさんある。書いた本人がそのくらいの認識しか持たずにタイトルを付けるのならそれは仕方ないことだ。でも、ちょっと立ち止まって欲しい。考えて欲しい。キャラありきだから。ストーリーありきだから。それがあればタイトルなぞどうでもいいと思っている、あるいは深く考えていない方に。 せっかくの作品、もう少し気を使いませんか。 作者(親)として最初、或いは最後に作品(子)に与えるプレゼントであり、名刺であり、洋服です。 内容で勝負できれば嬉しいが、このタイトル良かったよっていつか言われてみたい。 考えていることが肯定されたのだと。この本読んで救われました。 この本を手に取ったきっかけは別件だったけれども、読んで良かった。と心から思えた一冊。
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暫くぶりに読み返してみると、普段自分の意見として語っていたベースがここにある事にあらためて気付かされる。かなり影響受けてます。
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(何度目かの)再読。 読むたびに、前に気づかなかったことに気付かされる。あまりにも瀬戸川さんの筆致が軽妙(かつ巧妙)なため、本来ならじっくり読まなければならないところをうっかりつるつると読み進めてしまうからだ。 これからもまた何度も読み返すことだろう。
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堅苦しくなく、さまざまなミステリについて語られている。 にもかかわらず、それぞれの作品についてかなり深いことを言っていると思うし、事実そうなのだろう。 古典的な作品の盲目的な評価を止めて論じてみたり、広く膾炙されている味方とは違った見方をして見たりと、最後まで一気に読ませる評論集...
堅苦しくなく、さまざまなミステリについて語られている。 にもかかわらず、それぞれの作品についてかなり深いことを言っていると思うし、事実そうなのだろう。 古典的な作品の盲目的な評価を止めて論じてみたり、広く膾炙されている味方とは違った見方をして見たりと、最後まで一気に読ませる評論集だった。 都筑センセーの印象に似ていると感じた。
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