清沢満之と個の思想 の商品レビュー
清沢満之の思想にかんする研究書です。 清沢満之という思想家については、社会哲学者の今村仁司が関心を寄せていたこともあって、ひろくその名前が知られるようになってきています。ただし今村の清沢論は、彼自身の社会哲学の根本問題が清沢の宗教哲学の中心的な問題と相同的であるという観点から展...
清沢満之の思想にかんする研究書です。 清沢満之という思想家については、社会哲学者の今村仁司が関心を寄せていたこともあって、ひろくその名前が知られるようになってきています。ただし今村の清沢論は、彼自身の社会哲学の根本問題が清沢の宗教哲学の中心的な問題と相同的であるという観点から展開されており、清沢自身の信仰のありかたについて考察がなされているとはいいがたいところがありました。 これに対して本書の著者は、寺川俊昭や松原祐善のもとで真宗学を修めた研究者であり、「私が小著で採る中心的な方法は、……真宗学の伝統がこれまで採ってきた、〈規範的方法〉(normative approach)である」ということばに示されているように、清沢の信仰の中心問題に直接せまる考察がなされています。 ただし本書の議論のなかには、思想史的な観点から見ても興味深い叙述も含まれています。著者は、清沢の究極的な関心が「信念の確立」だったという寺川のことばを紹介したうえで、彼にとって「信念の確立」は宗教的な「個」の立場にもとづいておこなわれたと主張します。そして、「個」への関心が高まっていった日本近代の思想史的状況に目を向けて、北村透谷や藤村操らの「個」への関心と、浄土真宗の信仰に依拠した清沢の「個」への関心とのあいだに、どのようなちがいがあったのかということが考察されています。 また著者は、社会学で「マージナル・マン」という概念を紹介し、たがいに異質である文化の境域に立って思索をおこなった思想家として、清沢を理解しようとしています。さらに著者のこうした清沢解釈は、安田理深の「僧伽的人間」ということばに接続され、「個」の立場から仏法の共同体に生きる開かれた立場へと通じる道をあゆんだ思想家としてのすがたがえがかれています。
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