運動会と日本近代 の商品レビュー
学校行事といえば運動会は欠かせないものになっているんじゃないかな。運動会が終わった後で飲む打ち上げのビールのうまさときたら、職場でのギクシャクした人間関係も吹き飛んでしまうような一体感があっていいよねぇ。それだけ教師仲間の集団づくりにもなるんだから、子どもたちにとっても教育効果...
学校行事といえば運動会は欠かせないものになっているんじゃないかな。運動会が終わった後で飲む打ち上げのビールのうまさときたら、職場でのギクシャクした人間関係も吹き飛んでしまうような一体感があっていいよねぇ。それだけ教師仲間の集団づくりにもなるんだから、子どもたちにとっても教育効果は絶大なんて思ってしまうよね。 それから運動会には家族そろって御弁当を食べたりして、親子の結びつきも深まるし、ご近所が集まるから地域の教育力も高まるなんて学校教育の生み出した最高の発明品だって思っている人もいるんじゃないのかな。 ところで運動会って何のためにしているんだろう。けっこうわかっているようでいてわかんないのが運動会(学芸会だって何のためにあるのかよくわかんないけど)ではないだろうか。この本は無自覚に運動会をやってきた人々に贈る知的アンソロジーだ。筆頭執筆者である吉見氏は朝日新聞の書評委員なんかもしている気鋭の研究者。五、六年前に『思想』って雑誌に「ネーションの儀礼としての運動会」という論文を発表して注目されたんだ。その論文を巻頭論文に持ってきて、その後白幡洋三郎、平田宗史、木村吉次、入江克己、紙邊雅子といった面々が運動会と近代日本についていろいろ書いている。そうそう平田宗史っていう人は福岡教育大学の先生だぜ。学生時代に習った人もいるんじゃないの。 この本のモチーフは吉見氏の巻頭論文にあるように「(近代において)普及していく運動会が、児童の身体とそれらを囲繞する学校に関するどのような国家レベルの思想と結びついていく運命にあったのか論じたい」というわかったようなことが書いてある。要は花見と戦争ごっこが国家的思想に取り込まれていったのだ、ということだな。 平田センセは「わが国の運動会の歴史」という章を書いている。日本の運動会の歴史が通観できてわかりやすい。白幡氏は福沢諭吉が考えていた運動会について検討し、木村氏は運動会が国家に取り込まれていく過程を政策史的に追い、入江氏は国体によく似た戦前の明治神宮競技大会の分析をして「ナショナルな集団や組織への帰属意識を強化するために」スポーツが利用されてきた歴史を批判的に検証している。中体連でやれ県大会へ行けだの全国大会を目指せだのちゅうことに無自覚に夢中になっているセンセたちは必読。紙邊氏は現代の幼稚園に運動会は無用だという論を展開している。 アンソロジーだから自分の関心のあるところをつまみ読みしてもいい。 ★★★★ 運動会(体育祭)や部活に無条件夢中派の筋肉頭で活字は読めないかな
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