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明石海峡大橋物語 の商品レビュー

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2020/01/19

今年(令和二年)の正月は八年振りに帰郷しました。実家のベランダからは明石大橋が綺麗に見えます、帰るたびに見るのですが何度見ても飽きませんね。毎日ではなく偶に帰ってみるからでしょうか。 もう完成(平成9年=1998年4月)から20年以上経過しましたが、工事中に阪神大震災があったり...

今年(令和二年)の正月は八年振りに帰郷しました。実家のベランダからは明石大橋が綺麗に見えます、帰るたびに見るのですが何度見ても飽きませんね。毎日ではなく偶に帰ってみるからでしょうか。 もう完成(平成9年=1998年4月)から20年以上経過しましたが、工事中に阪神大震災があったり、中学生の時に本当に工事は始まるのだろうかと、色々な思いが個人的にはあります。。 橋の工事は、当時勤務していた父からは、淡路島側からは川崎重工、本州側からは三菱重工と聞かされていましたが、その材料を提供していたのは新日鉄だったことをこの本で知りました。橋の完成までには新日鉄の方を始めとして、実に多くの人が関わっているのだと思います。 この本では、明石海峡大橋完成にむけて、新日鉄の人たちがいかに頑張ったか、その完成までに実に多くの橋を手掛けて、新しい技術を確立していったことが詳細に書かれています。 以下は気になったポイントです。 ・ケーブルに麻縄が使われた、高価であったが寿命も短く予告無しに切れることもあった、これを鋼索が解決した。麻製の鋼を芯にして複数の鋼線を撚った子綱を数本すり合わせる、用途に応じて子綱の太さ、撚り方、子綱の数を変える(p83) ・ローブリングは、鋼索を縒線から平行線ケーブル(PWS)に変更した、施工法は鋼線を1本ずつ張るAS工法を発明することで、長大吊り橋時代が幕を開けた、ニューヨークのブルックリン橋から始まる(p87) ・昭和15年に、大小鳴門橋架橋構想が発表された、それによると、鳴門海峡に橋を架け、明石海峡は連絡船、淡路島を中に四国本州を結ぶ、本四架橋構想の発端であったが、幻に終わった(p91) ・昭和28年に神戸市が明石架橋の準備をはじめ、32年に予算を計上、神戸市議会は面食らった、以来、明石大橋は「夢の懸け橋」と呼ばれる(p92) ・昭和60年、大鳴門橋完成と前後して、明石大橋の事業化が決まった、48年に本四公団第一建設局が垂水に工事事務所を設置して、足掛け13年目であった、昭和61年起工式、63年現地工事着工、平成元年、潜函工事開始(p194) ・平成3年7月には、明石海峡大橋のケーブル架設工事が、新日鉄の一括受注と決まった(p195) 2020年1月19月日作成

Posted byブクログ

2010/12/02

一文一文が非常に短すぎて、読みづらかった。 ただ、「鉄屋が橋を架ける」ことは全く知らなかったため参考になった。現場の苦労が分かりやすい。

Posted byブクログ