花のピカソと呼ばれ の商品レビュー
著者は、勅使河原純という。しかし、勅使河原蒼風とは、関係がないようだ。著者は、美術評論家であり、キュレーターで、世田谷美術館の副館長をしていた人である。 アメリカの雑誌 ライフ誌が、勅使河原蒼風をピカソとよんだことから、この表題になった。 勅使河原蒼風は、いけばなを革新した先駆者...
著者は、勅使河原純という。しかし、勅使河原蒼風とは、関係がないようだ。著者は、美術評論家であり、キュレーターで、世田谷美術館の副館長をしていた人である。 アメリカの雑誌 ライフ誌が、勅使河原蒼風をピカソとよんだことから、この表題になった。 勅使河原蒼風は、いけばなを革新した先駆者である。いけばなの素材に、花ばかりでなく、異物を利用した。石、縄、羽根、鉄、真鍮、ブロンズ、コンクリート、石膏、プラスチック、そして人体、つなりヌードなど。いけばなは花以外の素材をなぜ使っていけないのか?また、そのことによって、いけばなを芸術にまで高めようとした。いけばなは、アートである。もしくは、オブジェいけばなとなる。蒼風は「花をいけるのではない。人をいけるのだ」という。「私はなんでもいけられる」と豪語する。ただ、勅使河原蒼風は、それだけにとどまらず、書や絵を描き、それを発表する。さらに、造形にまで手を伸ばす。それを、どう評価するのか?次々に自己表現の場を、いけばなを軸としながら、広げていったのだ。それを著者は、この本で考察するのである。 蒼風は「いけばなは生活と切り離せないものだ。生活と離れた特殊な芸術ではない。これは大衆の内に生きる芸術だ」という。そして、蒼風は周りに、アバンギャルドに理解を示す人たち、岡本太郎、土門拳、亀倉雄策、武智徹、安部公房、石川淳、野間淳、大岡信、金子光晴などの人脈に囲まれて仕事をする。草月アートセンターを拠点とした。草月という雑誌が重要だった。 蒼風は、いままでのいけばなが花器だとかそういうものをやかましくいっていたのに対して、「器なんかなんだっていい。それから花だってなんだっていい」といっていた。 「大衆の非大衆的優位性」ということだった。 蒼風は「独創という言葉をみんな好む。それはいかに独創的なものが世の中に少ないかを証明している」という。常に独創性を発揮し続ける蒼風の自負でもあった。 大宅壮一は、戦後の急速な発展の中で、『昭和怪物伝』を出版した。怪物の3つの条件とは①常軌を逸して常人の物差しで計り知れない行動力を持つ。②女性と金銭に対して普通とは別の物差しを持っていること。③その人が、黒を白というと、本当に白になってしまう可能性があること。として、勅使河原蒼風を怪物(モンスター)とした。蒼風は、急所をおさえた人心収攬術と抜群の経営感覚があった。しかし、4億8000万円ほどの脱税容疑で捕まることで、「草月流に隠した花/免許料でごまかす/蒼風家元が5億円/悪の温床家元制度」といって、マスコミ叩かれた。 蒼風は、「花で人間をいけるのであって、人間が花をいけるのではない。葉をいけよ。枯れたものは美しい。花を憎悪する。花があって花器が出てくる。自然も季節もいらない。自然を愛することは無用なのだ。花がいけばなに化す。水もいける。土もいける。ウソをいけよ。ウソがまことなのだ。ウソは創造なのだ。偶然が必然になる。目で見えぬものをいけよ。松をいけて、松に見えたらダメだ。いけばなは場にいけるか。場を無視するしかない。ひと枝が全部なのである」という。まさに、高度経済成長のそれいけどんどんの世界で、独創性を発揮し続けたのである。 勅使河原宏は「父はいけばなを、瞬間の芸術と位置づけていた。ただでさえ短い花の命を、一度終わらせ、自然から話したところで、再び蘇らせるのがいけばなだから、愉しめる時間は一瞬。だから父は花との出会いをとても大切にした。お茶の世界では一期一会であるが、いけばなは『はな一会』である」という。 美術評論家から見た、勅使河原蒼風は、いけばなという枠以上のスケールが映し出される。
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