ぼくにはまだ一本の足がある の商品レビュー
小児癌「横紋筋肉腫」という病に犯されながらも懸命に戦い抜き、またその闘病生活を「詩」に書き留め、多くの人々を感動させた少年詩人の物語。 台湾で生まれた周大観くんは8歳で上記の癌を患い、闘病中に足を切断するという過酷な試練も耐え抜いた。彼はその約1年半後に息を引きとるが、その間、...
小児癌「横紋筋肉腫」という病に犯されながらも懸命に戦い抜き、またその闘病生活を「詩」に書き留め、多くの人々を感動させた少年詩人の物語。 台湾で生まれた周大観くんは8歳で上記の癌を患い、闘病中に足を切断するという過酷な試練も耐え抜いた。彼はその約1年半後に息を引きとるが、その間、家族、医者、看護婦、自分の世話をしてくれる全ての人に感謝をし、その闘病生活の内容を多くの「詩」に書き留めた。また彼は幼少期より頭脳明晰で3歳で「千字文」「三字経」(ともに中国伝統の漢字習得テキストらしい)をすらすら読み、5歳で「四書」(孔子、孟子等)、「古今東西科学者列伝」「ファーブル昆虫記」等様々な本を読破していた。そんな彼が残した詩はとても9歳の少年が書いたものとは思えないものである。詩を評価するほど詳しくはないが個人的に印象的なものが2つある。 1つ目。 「ぼくにはまだ一本の足がある」 ベートーベンは両耳が聞こえなかった 鄭龍水は両目を失命した だけど、ぼくにはまだ一本の足がある 地球の上に立ちたいから ヘレンケラーは両目を失命した 鄭豊喜は両足が不自由だった だけど、ぼくにはまだ一本の足がある 美しい世界を歩きまわりたいから 2つ目。 「足を切る」 癌の悪魔は人類の敵 僕は右足を占領した 化学療法は歯が立たず 放射線治療も役立たない 足を切ろうと医師は言う 敵はどんどんやってくる 陣地を変えてやってくる 幾何学的に増殖し 天文学的な痛みで襲ってくる もはや足を切るしかないと パパとママはぼくを医師に預け 医師はぼくを化学技術に委ね ぼくはいのちを神に託した これらのような詩を彼の人生で42篇も残し、中国の新聞、メディアがこれらの詩を取り上げ、多くの人の心を動かした。 彼は死を覚悟してから家族にこう告げる。 「パパ、ママ、弟よ。ぼくが死んだらぼくが頑張って癌と闘ったことを他の癌に罹ったこどもやその家族に伝え、彼らに勇気と強い意志を持って癌の悪魔に立ち向かってくださいと伝えてください。」と。 調べたところ、この「横紋筋肉腫」という病は小児に罹りやすく、成人で稀に罹るという。 まだ遊びたい盛り、親に甘えたい年頃であるにも関わらず残酷な病だと思った。 驚くのはこの病との闘いの中で、常に他人を思いやっていたこと。特に印象的な場面は延命治療をするかどうかの大勢が出席する会議に出席し、「もう手術はうけません、先生、看護婦さん、これまでぼくのお世話をしてくれてありがとう!みなさん、一生懸命にやっていただきました!だから、一言お礼が言いたいんだ!」と言ったこと。 僅か9歳の少年が大勢の人を前にこんな事言えるだろうか、読んでて目頭が熱くなった。自分の9歳だった頃を思いだすと、読む本はまんが、感心事は常におもちゃやゲームだった気がするし他人を思いやるどころかジラを言って他人に迷惑を掛けていた気がする。英国の浪漫詩人ワーズワースは「The child is father of the man」(こどもは大人の父親だ)と言っているがまさにこの少年のことであろう。 大人になったからこそ見える視点もあるが見失なったものも多い。こどもだからと言って下に見たり、ばかにしたりしてはいけない。こどもは大人が思っている以上に色々と考えていると思うし、こどもから学ぶ事は沢山あると思う。そういった姿勢、考え方を改めて気づかされた。そして何より今の現状、四肢があり五感も正常、五臓六腑健康な今の僕の状態、これ以上幸せな事はない!と改めて思った。もし仮にこれから先に病に陥ったりした時はこの少年の事を思い出し、励みにしたいし、健康な今をより大切に過ごしていきたい。そう思えた事、それはこの少年の願いの中の1つではないかと思う。
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