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旅する神の民 の商品レビュー

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2016/02/06

「教会倫理」を明確に打ち出している。キリスト教倫理は抽象的、一般的に語ることはできない。イエス・キリストに弟子として従う、それも教会という具体的共同体として従うことで、倫理の内実を知り、生きることができるという。現代アメリカのキリスト教に対して自己反省を迫る書だが、キリスト教の本...

「教会倫理」を明確に打ち出している。キリスト教倫理は抽象的、一般的に語ることはできない。イエス・キリストに弟子として従う、それも教会という具体的共同体として従うことで、倫理の内実を知り、生きることができるという。現代アメリカのキリスト教に対して自己反省を迫る書だが、キリスト教の本質を問い直している。 もう一つのキーワードは「物語」。聖書に記された神の民の物語、二千年のキリスト教会の歩み、そして現代に生きる教会の物語が語られている。教会を真に教会とする「普通の信徒たち」の実話も紹介されていた。読みながら、物語が人の心を動かすものであることを実感させられた。 訳者解説にもあるように、著者ハワーワスとウィリモンはさまざまな神学的伝統の影響を受けている。その一つが、J.H.ヨーダーと通してのアナバプティズムである。その点、本書は「ネオ・アナバプティズム」の一翼を担っているように思う。 ネオ・アナバプテストの神学は、ヨーダーもそうだが、語り口が基本的に「対抗的」である。他の立場を「コンスタンティヌス主義」と一刀両断していく。その点、論旨は明快であり、読者に「あれか、これか」(ボンヘッファー)の決断をうながす気迫を持っている。 しかしそれは、「愛をもって真理を語る」(エペソ4:15)ことと、どのような関係になるのか。イエスはユダヤの宗教家たちには概して厳しい口調で語ったが、弟子たちには忍耐を持って教え諭された。もし今日の、(著者たちから見るならば)堕落した教会が、それでもなお主の教会(弟子の群れ)であるならば、イエスの語り方に倣う必要があるのではないか。本書の語り口は、自分の正しさで他者を裁くパリサイ人的な臭いを感じるところがある。 根本的には、人は愛によってしか罪と向き合うことはできないと思う。

Posted byブクログ