方法としての丸山真男 の商品レビュー
「看板に偽りあり」の一冊である。遺憾ながら購読は薦められない。「マルクス主義歴史学」あるいは「戦後歴史学」を自称するアカデミ-に対して抱いてきた品の悪い偏見と蔑視の固定観念 -「レベルが低い」- が再び頭を擡げてくる実感を告白せざるを得ない。「戦後歴史学」あるいは「マルクス主義歴...
「看板に偽りあり」の一冊である。遺憾ながら購読は薦められない。「マルクス主義歴史学」あるいは「戦後歴史学」を自称するアカデミ-に対して抱いてきた品の悪い偏見と蔑視の固定観念 -「レベルが低い」- が再び頭を擡げてくる実感を告白せざるを得ない。「戦後歴史学」あるいは「マルクス主義歴史学」の研究集団は、一体いま何を考えながら学問活動しているのだろうか。どのような理念や信念に集団としてコミットして、どのような理論とメッセ-ジを生産・発信しようと模索しているのであろうか。「丸山真男を絶対化するな」というのは当然の議論であるが、丸山真男が巨大で神聖なものに映るのは、それとあまりに対照的な烏合の衆が下界にひしめき合っているからである。井上勝博の『「古層」論と丸山真男のナショナリズム』は、「戦後歴史学派」と「脱構築派」の間で妥協を探る議論のつもりなのであろうか。そこには丸山真男に対する思想的・学問的な緊張感は微塵もないようである。それはどうにでも好き勝手に調理できる「死んだ言説」なのであり、むしろ酒井直樹の「生きた言説」の前で緊張して立っているのである。この空疎さと安直さに比べれば、四年前の米谷匡史の若々しく瑞々しい緊張感の方に、はるかに多く共感できると言うものである。「戦後歴史学」に意地は無いのか。
Posted by
- 1