対談 現代詩入門 の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
今だから、読む意味のある本だと思う。 時代をこえる詩、時代を彩る詩、その差異が垣間見えるよう。 80年代の若い人たちの詩を今読むと、昔の新しさを感じた。時代を越えて「孤独な存在同士が孤独を抜け出て、共鳴することができる場として」の詩、古来からの「他を讃える、他を怖れるところから始まっている」それに繋がる詩、それはどういうものだろうと考えさせられた。 共同制作における個性のぶつかり合いも興味深い。連句、連歌の可能性を感じた。
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時代の預言者としての詩人」 何かでこんな事を読んだことがある。明治の話だが、50年後の社会がどのように発展しているか予想してもらったということだ。それをグラフにすると、一般の人達の予想が最もゆるいカーブを描いていて、次に科学者がその上を予想する。ところが夏目漱石の予想はその上...
時代の預言者としての詩人」 何かでこんな事を読んだことがある。明治の話だが、50年後の社会がどのように発展しているか予想してもらったということだ。それをグラフにすると、一般の人達の予想が最もゆるいカーブを描いていて、次に科学者がその上を予想する。ところが夏目漱石の予想はその上を行っていて、実際の発展はさらに急激なカーブを描いていたと言うのだ。これだけで判断する事はできないが、時として科学者よりも文学者の予想の方が、現実に近い事もあるとは言えそうだ。 『対談 現代詩入門』は1980年代前半に谷川俊太郎と大岡信が詩の現在や未来を語り合ったものだ。彼らの説得力のある分析もさることながら、そこから見えてくるのは私たちの現在(彼らの対談の時点では約30年後の世界になる)そのものだ。戦後の詩人たちがある種のイデオロギー的なものに呪縛されていたのとは違い、80年代の若者は自由であるという。しかしその代わり「詩という、つまり可能性としては人間の最も深層の心理まで含むし、最も広い宇宙までも含み込むような一種の共同性みたいなものに若い人が向うのは、必然的だっていう気がしているのね。」(谷川)という状態になる。 今の若者は他者との関わりを積極的に持たない傾向があると言われる。大学の学生寮などでも、皆のための共有スペースには人が集まらず、個室に閉じこもる傾向があるらしい。しかし彼らが孤独を望んでいる訳ではないだろう。幼い時から人と関係を持つ訓練を余りしてきていないから、どのように接触して良いか分からないのだ。だからSNS、掲示板、ツイッター等の間接的接触に人が溢れ、それが捩れていくと社会対個人の軋轢と思い込み、不特定多数への攻撃となったりする。 「いま若い人たちは翻訳の詩集をあまり読まないという印象がある」(大岡)というのも同根だろう。海外への留学希望者も減っている。インターネットの世界には何でもあるように感じられてしまう。その反面「どれだけ選択をしてみても、自分が選んだものは膨大なもののある一部分にしかすぎないという不安と不充足感が、今の若い人に絶えずつきまとっているんじゃないか」(大岡)となる。その中で怯えながらそろそろと触手を延ばし、何かに突き当たると、すぐに手を引っ込めてしまうか、玉砕覚悟で突撃する。交渉と妥協の余地がない行動が目立つ。 漱石は『こころ』に「自由と独立とおのれとに充ちた現代に生まれたわれわれは、その犠牲としてみんなこのさびしみを味わわなくてはならないでしょう。」と書いた。大岡は言う「いまの若い人たちの作品は、十年ほど前にバロック的といわれる試みをした人たちに比べても、もっと肩の力が抜けていて、自然な形でいろんな種類の試みができてしまう。だから逆に、自分はどこに重点を置くべきかというポイントを探しあぐねているんじゃないか。」自由に寂しさ、不安はつきものなのか。 詩の行き着く先を探っていくと、社会(共同体)の行き着く所が見えてくる。「現代詩は、もしいまの状態が続いていくとすれば、おそらくごく少数の人の一種の手工芸品的なものに、位置としては、なってしまうだろう。」(大岡)共同体という言葉が風化する日が来るのだろうか。それだけは防ぎたいものだ。そのためにも、詩は身近なものであらねばならないだろう。谷川と大岡の30年前の対談は多くのものを教えてくれる。分りやすい現代詩がある事を教えてくれるし、21世紀を生き抜いていくためのヒントが散りばめられている。
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