死言状 の商品レビュー
忍法帖で有名な作者の…
忍法帖で有名な作者のエッセイを集めたもの。日々の暮らしの中での作者の考えも面白いが、江戸川乱歩や横溝正史について書かれたものが良かった。
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山田風太郎のエッセイ集『死言状』を読みました。 ここのところ、山田風太郎の作品が続いています。 -----story------------- 死ぬときは死ぬさ、アハハ――。 いかにしてこの世を渡るか、天才老人の含蓄あふれる徒然草 古今東西の有名人は死に際してどんな最後の言葉...
山田風太郎のエッセイ集『死言状』を読みました。 ここのところ、山田風太郎の作品が続いています。 -----story------------- 死ぬときは死ぬさ、アハハ――。 いかにしてこの世を渡るか、天才老人の含蓄あふれる徒然草 古今東西の有名人は死に際してどんな最後の言葉を残しているだろうか。 ゲーテは「もっと光を!」。 勝海舟は「コレデオシマイ」。 近松門左衛門「口にまかせ筆に走らせ一生さえずりちらし、いまはの際に言うべく思うべき真の大事は一字半言もなき当惑」。 そして、風太郎の死言状は? 本書は、天才にして鬼才である菊池寛賞受賞の著者が、折々に書き綴ったアフォリズムあふれる現代の徒然草。 ----------------------- 1960年代から1990年代に執筆された81篇のエッセイ・短文を収録して1993年(平成5年)に刊行された作品です。 ■Ⅰ 文学碑、公然たる嘘 ほか ■Ⅱ コーチよろしきを得て、酒との出逢い ほか ■Ⅲ 世の中で一番いい商売、林不忘の税金の話 ほか ■Ⅳ 風太郎由来、金瓶梅 ほか ■Ⅴ 禅、半遁世の志あれど ほか ■あとがき ■解説 山田風太郎賛歌 木田元 麻雀に人生を学び、数十年ぶりの寝小便に狼狽し、男の渡り鳥的欲望について考察する… 「無害で有益な人間はほとんど存在しない」「男の顔の化粧ないしカモフラージュとして、ヒゲほど有効なものはない」「美人好みはホンイチ狙い」「人間は長生きしすぎて、せっかくの完全形をみずから壊す」等々の風太郎流名言(?)も次々と登場、、、 ナンセンスに見えて深遠… 忍法帖シリーズをはじめ、数々の傑作を生んだ鬼才が、独自の死生観を示す警句(アフォリズム)に満ちた文章の数々。 さらには、この世を見つめ親しい作家達に寄せて、折々に綴った含蓄あふれる現代の徒然草… これぞ風太郎エッセイ。 独特の価値観や死生観が、今の私の気持ちにシンクロしましたねー 心地良く読めるエッセイでした、、、 これからの生き方… そして、死に方の参考になりましたね。
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魔界転生、甲賀忍法帖などの人気小説を手掛けた山田先生のエッセイ。幅広い著者の思想を知ることができる。 日常の些細なことから、戦争、安楽死、労働、小説など個々のテーマは多彩。最終章ではタイトルどおり「死生観」を論じている。この年代の方特有の思想が続くが、そこはやはり作家。一枚...
魔界転生、甲賀忍法帖などの人気小説を手掛けた山田先生のエッセイ。幅広い著者の思想を知ることができる。 日常の些細なことから、戦争、安楽死、労働、小説など個々のテーマは多彩。最終章ではタイトルどおり「死生観」を論じている。この年代の方特有の思想が続くが、そこはやはり作家。一枚二枚皮肉を込めながら痛烈な少数意見も多く展開している。ご本人は冗談のつもりでおっしゃっているのかもしれないが「本当にそうするべき」を真に受けてしまうような提言もある。 エッセイは「ユルくてなんぼ」だと思う。気合いれて肩肘張ってエッセイを書く人はあまりいないだろう。たとえ締め切りに追われていてもそうした姿勢を崩せば、読んでいてなんとなく「カチカチした」文体になる。そんなエッセイも時々見かけるが、ほとんどの著者はどんなに追い込まれても「ユルい」書き方を心がけているのではないだろうか。それは「ダレて」ということではなく「自然に」ということである。エッセイに限らず言葉、さらには表現というものは「自然」に出たものにこそ価値がある。極端に言えば「固く」書くことが期待される「批評」のような文章でも少なくとも「不自然な」文章はあまり魅力がない。山田先生の文章はどのようなテーマについての文章でも「自然さ」が感じられるように思う。 ちなみに解説は哲学者の木田元先生がお書きになっているが、先生の少し違う側面がみえたような気がする。
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通勤中にちょこちょこ読み進めて読了。 疲れて頭が働かない時にも軽く読めて、気分転換にエッセイは良いと感じた。 執筆は60年代から90年代と幅広い。書名には「死言状」が付けられているが、実際のエッセイ(死言状)は10ページ程になる。 風太郎のあっけらかんとした死生観と、飄々とし...
通勤中にちょこちょこ読み進めて読了。 疲れて頭が働かない時にも軽く読めて、気分転換にエッセイは良いと感じた。 執筆は60年代から90年代と幅広い。書名には「死言状」が付けられているが、実際のエッセイ(死言状)は10ページ程になる。 風太郎のあっけらかんとした死生観と、飄々とした視点で日本社会をみる様は、肩肘張らずにリラックスして読めた。 生きた時代は違えども、世代を越えて読み継がれると思う。
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※このレビューにはネタバレを含みます
「死は無である」という山田風太郎の考え方に激しく共感。 誰かが亡くなった時、「あの人は空から見守っているよ」とか「◯◯さんは心(思い出)の中に生き続けるよ」と言う人達もいるが(勿論そういう考え方をすることで救われる人達もたくさんいるのだろうけれど)、私は反吐が出そうになる。死んだら骨が残るだけで全て終わりなのに。 そんな考え方をしている人にとっては、山田風太郎が好き放題持論をぶちまけるこの本を読んで爽快感すら覚えるかもしれない。
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以前から『人間臨終図巻』は知っていたけれど、手に取ることはなかった。巡り合わせというのだろうか、新潮45編集部の編集した『死ぬための生き方』(新潮文庫)の中に収められている「死に支度無用の弁」を読み、『死言状』にたどり着いた。これを機に、『臨終図巻』も読もうと思う。 ところ...
以前から『人間臨終図巻』は知っていたけれど、手に取ることはなかった。巡り合わせというのだろうか、新潮45編集部の編集した『死ぬための生き方』(新潮文庫)の中に収められている「死に支度無用の弁」を読み、『死言状』にたどり着いた。これを機に、『臨終図巻』も読もうと思う。 ところで、どうしたことだろう、本書所収の「死に支度無用の弁」には相当の脱文があるようだ。それも大事な部分である。300頁10行目「人間よりはるかに宗教的な死をとげるのではあるまいか。」の後、11行目「とにかく右の次第で、」の前に入るべきもので、『死ぬための生き方』より今補う。 死ぬからと大げさに騒ぎたてるのは人間だけだ。死の最高の形態は鳥獣の死である。人間は虫やミミズを見習うのがいちばんの死の準備ではないかと思う。 また人間が、死ぬからといって騒ぐのは、自分の目的や事業が挫折する無念さによることが多いが、私の警句に曰く、「自分が消滅したあと、空も地上もまったく同じ世界とは、実に何たる怪事」 しかし、怪事ではない。いかなる自称大人物が死んでも、地上は小石一つを沈めた大海のごとし。のみならず「人は死んで三日たてば、三百年前に死んだと同然になる」 もう一つ、死にあたって人間が悩むのは、自分の愛する者たちへの配慮―一般には物質的な心配だが、これとてあとに残った者たちは、無ければ無いで何とかやってゆくものだ。 それとはまったく別に私は、自分の死よりも、その愛する者たちが十何年、何十年かののちに死んでゆくことを考えるほうが怖ろしい。それらの人間が、遠い未来、どういう状態で死んでゆくのだろう、と考えても、むろん想像の域外にあるのだが、とにかくそのほうが痛ましい。もとより痛ましがっても何にもならないことである。 以上。
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