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丸山眞男の時代 の商品レビュー

3.7

14件のお客様レビュー

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2021/05/31

竹内洋 「 丸山眞男 の時代 」 丸山眞男の思想論というより、丸山眞男は誰を啓蒙し、その背景は何かを論じた本。東大法学部という肩書とジャーナリズムを利用して、大衆にインテリという政治主体者の役割を啓蒙したという構成 敗戦により天皇が象徴になり、国体が破壊された日本において、...

竹内洋 「 丸山眞男 の時代 」 丸山眞男の思想論というより、丸山眞男は誰を啓蒙し、その背景は何かを論じた本。東大法学部という肩書とジャーナリズムを利用して、大衆にインテリという政治主体者の役割を啓蒙したという構成 敗戦により天皇が象徴になり、国体が破壊された日本において、大衆に政治主体となるよう啓蒙したようにも読めるが、丸山眞男に代表される知識人が大衆をコントロールしているようにも読める。本の後半は 丸山眞男への批判色が強い。必要悪として捉えている 戦中日本のファシズムを超国家主義とした丸山眞男の概念は 自由意思のない国家主権をうまく表現している。倫理すら権力化し、上級者によって規定された行動基準には 恐怖を感じる 八.一五革命説 *日本国民は敗戦によって国体から解放され、自由なる主体となった *八月十五日にさかのぼれ〜私たちは廃墟の中から、新しい日本の建設を決意した

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2019/06/16

本書のいうとおり、戦後左翼にとって幻滅しつつあった共産主義に代わる器が丸山眞男だったとすれば、ものすごい影響力を持つ人物だったのだと思う。いま丸山眞男の評論を読んでも深く感じるところがないので、かつての時代の雰囲気を逆に強烈に感じる。 本書では現代からの視点で丸山眞男に対する違和...

本書のいうとおり、戦後左翼にとって幻滅しつつあった共産主義に代わる器が丸山眞男だったとすれば、ものすごい影響力を持つ人物だったのだと思う。いま丸山眞男の評論を読んでも深く感じるところがないので、かつての時代の雰囲気を逆に強烈に感じる。 本書では現代からの視点で丸山眞男に対する違和感が数多く語られる。戦争に反対する社会的クラスと積極的に賛成するクラスを、画一的に論拠なく断定したこと。社会運動を煽るものの、サルトルなどとは異なり自身はそれらに参加しないこと。そして学生運動で自身の研究室が破壊され、学生をナチス以下呼ばわりしたこと。荻生徂徠を近代政治のきざしであるかのように牽強付会に論じたこと。日本の敗戦までのみちのりを西洋近代の理想からの落ちこぼれとみなしたこと、などなど。 丸山眞男は心のどこかで大衆社会を信用していない。にもかかわらず大衆社会を自身の理論と実践に最大限利用しようとする。それは30年代における大衆社会化の逆利用のようだ。だから戦後にファシズムや軍国主義が忌諱されたように、ひとたび大衆を裏切ったかように見られれば、丸山眞男も手のひらを返して糾弾されるのだ。よくも都合よく私たち大衆を利用したなと。戦争終結時の丸山眞男の有名な言葉、「どうも悲しい顔をしなければならないのは…」。ここからすでに大衆の心もちと掛け離れていたのであれば、はじめから運命は決まっていたのかもしれない。 当初は簑田胸喜との対比で丸山眞男が描かれる予定であり、簑田に触れる部分がずいぶん多い。

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2017/01/22
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

2005年刊行。著者は関西大学文学部教授。◆本書は丸山眞男の見解の分析書ではなく、また、人物評伝でもない。戦前戦後の「知識人」という存在について、丸山眞男を定点として切り取る書というべきか。けだし、蓑田胸喜に多くの頁を割くのは、大衆の知識人化という観点でなければ、理由が不明であろう。もっとも、戦前の国粋主義者による大学糾弾と全共闘などの戦後共産主義者による大学糾弾とは酷似の構図という点、大衆教育化社会・大学の大衆化という点など本書の内容は新奇とは言い難い。思わず「天皇と東大」下巻を軽く再読してしまった。 本書で描こうとする大衆知識人化の過程よりも、本書で詳述される蓑田胸喜個人の人生行路の方が面白い。国粋主義を煽る時の権力に事実上迎合し、大衆をアジっていき、大学の自治・表現の自由を掘り崩す役割を果たした。が、権力側から不要になると、その権力に睨まれ、自由な発言すら困難になる。失意の下で熊本に隠棲して昭和10年代後半期を過ごし、終戦後しばらくして死に至る。言論人としての存立基盤を自ら掘り崩した末路が哀れを通り越して、滑稽なピエロのように映る。

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2017/11/30

「普遍的知識人」としての丸山眞男の思想史的な位置を、戦中から戦後にかけての日本社会における文化資本をめぐる状況の推移のなかで検討しています。 前半は、狂信的な国家主義者として知られる蓑田胸喜について多くのページを割いて考察をおこなっています。また著者は、「亜インテリ」と「本来の...

「普遍的知識人」としての丸山眞男の思想史的な位置を、戦中から戦後にかけての日本社会における文化資本をめぐる状況の推移のなかで検討しています。 前半は、狂信的な国家主義者として知られる蓑田胸喜について多くのページを割いて考察をおこなっています。また著者は、「亜インテリ」と「本来のインテリ」を区別しようとした丸山の主張に対する批判を展開し、ファシズムを下支えすることになった「亜インテリ」とされる人びとが、教養主義の丸山らとは異なるもうひとつの形態にすぎなかったことを明らかにしています。 そのほか、戦後の社会状況において丸山が「普遍的知識人」としての地位を占めた理由と、その後本格的に日本社会を覆うことになった大衆文化に直面するなかで丸山が直面することになった困難を、文化資本の社会的変遷という枠組みによって説明しています。 丸山眞男の思想そのものではなく、丸山眞男を焦点とすることで「丸山眞男の時代」について考察をおこなった本として、興味深く読みました。

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2014/04/27

戦中戦後の大学、及びジャーナリズムと 大衆インテリの動きについて 丸山を中心に時代の流れを伝える一冊。 丸山らを取り巻く議論については 難しく感じる点が多々あった一方、 時代の雰囲気については理解しやすく、かつ内容も面白い。 もっと詳細に戦中や戦後安保闘争時の潮流を 知りたいと...

戦中戦後の大学、及びジャーナリズムと 大衆インテリの動きについて 丸山を中心に時代の流れを伝える一冊。 丸山らを取り巻く議論については 難しく感じる点が多々あった一方、 時代の雰囲気については理解しやすく、かつ内容も面白い。 もっと詳細に戦中や戦後安保闘争時の潮流を 知りたいと感じさせた。

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2013/09/25

丸山眞男像というものが今ではどうなっているのかわからないが、非常に現代的な評価だ。例えば蓑田胸喜などとの対照として丸山がいたことなどについて現代に通じる。

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2013/08/19
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

丸山眞男という日本の戦後の思想界をリードした人に焦点を中てつつも、丸山が「覇権」を獲得することが出来た時代背景、そして彼の占めたポジション(東大教授であること。そしてしかも文学部ではなく、実践が重視される法学部であり、尚且つ法学部の中では周辺の文学部に近い日本政治思想史であったというラッキーさ)を分析する教育・思想史ともいうべき本です。丸山が左翼をリードしながら、全共闘からは批判対象とされざるを得なかった限界性も鋭く指摘しています。そしてこの著者は何よりも丸山に対する冷静な批評精神をもっているという点で面目を発揮しているように思いました。確かに丸山が日本に果した役割と日本を混乱させた罪があることは左右双方の立場から指摘せざるをえないのだと思います。丸山のジャーナリズムへの劣等感、大宅荘一のアカデミズムへの劣等感を背景に藤原弘達が自分が双方の架け橋になる存在だと恩師丸山を批判するようになる過程は約40年前を彷彿として思い出させてくれます。

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2013/06/10
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

竹内洋『丸山眞男の時代 大学・知識人・ジャーナリズム』中公新書、読了。戦後の市民の政治参加に圧倒的な影響力を及ぼした丸山眞男。本書は、丸山を知識人論の観点から論じ、その歴史的。社会的意義を説き明かす一冊。評伝・ないし丸山論というより、丸山の生きた時代を解明する著作でもある。 戦後の市民の政治参加に圧倒的な影響力を及ぼした丸山眞男。著者の特色は心理的人物分析と7で済むところを10語る点。本書でも発揮されている。戦前の蓑田胸喜らの帝大粛清運動の形式が左右問わず生きている。丸山が思想を問わず対峙したのがこれだ。 著者にとり丸山は憧れと批判の対象であったように、それが「知識人」に対する眼差しだった。タレント化する現在を思うと、良質なアカデミズムが生き生きとしていたことを教えられる。著者近著『メディアと知識人 清水幾太郎の覇権と忘却』 を併せて読みたい。 学問の自由と大学の自治を屠った蓑田胸喜(帝大教授思想資格民間審査官)らの帝大粛清運動は、文部行政と大学が蓑田化することで排除する対象を失ってしまう。すると今度は蓑田一派ら自身が排除される対象となっていく。単純なアナロギアはできないけど、ネトウヨ等々はこの方程式を自覚すべきか。 丸山眞男曰く「過激分子が必死となって道を『清め』たあとを静々と車に乗って進んで来るのは、いつも大礼服に身をかため勲章を一ぱいに胸にぶらさげた紳士官僚たちであった」(「戦前における日本の右翼運動」、『丸山眞男集 九』岩波書店)。利用されてポイですよ。

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2013/04/13

丸山眞男の時代という書名通り、丸山だけに焦点をしぼらず、丸山が活躍した時代全体に焦点を当てようとするなかなかの力作。 著者は、教養主義の没落などの作品を書いてある社会学者の竹内洋氏であり、ところどころにある社会学的な統計的な裏付けもあって、読んでいて楽しかった。 簡単に要旨を...

丸山眞男の時代という書名通り、丸山だけに焦点をしぼらず、丸山が活躍した時代全体に焦点を当てようとするなかなかの力作。 著者は、教養主義の没落などの作品を書いてある社会学者の竹内洋氏であり、ところどころにある社会学的な統計的な裏付けもあって、読んでいて楽しかった。 簡単に要旨をまとまれば、丸山思想の背景や時代の説明に始まり、法学部の政治思想史を教える傍ら、「超国家主義の論理と心理」により、日本独自の視点を指摘して注目されたことや、その影響を描いている。しかし、その後は有名であるがゆえに、様々な批判も受けることになる。当時の教養主義についても、終章で触れている。 丸山思想や時代背景も含めて全体としてとらえたいならば、丸山眞男の本は数多いが、そのうちの1つとしてこの本もお勧めしたい。

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2012/09/09

アカデミズムとジャーナリズムの関係を明解に説明しながら、知識人としての丸山の当時の立場を紹介している。特に著者竹内による概念の対置構造のおかげで、はっきりしなかった教養主義や戦後の「革新」が整理された。例えば、法学部と文学部、学問界と政治界とジャーナリズム界、文化資本と経済資本な...

アカデミズムとジャーナリズムの関係を明解に説明しながら、知識人としての丸山の当時の立場を紹介している。特に著者竹内による概念の対置構造のおかげで、はっきりしなかった教養主義や戦後の「革新」が整理された。例えば、法学部と文学部、学問界と政治界とジャーナリズム界、文化資本と経済資本などだ。 本書とは関係ないが、こういうイメージもあるらしい。 http://usamimi.info/~linux/d/up/up0860.jpg また、蓑田胸喜という人物の「大学教授思想検察官」比喩に驚いた。思想の左右にかかわらず大学教授を糾弾し、いわば検挙していたとのこと。メディアを通じた糾弾はこの頃から始まったのか。雑誌記事索引集成DBで糾弾を引いたところ、1930年頃から1942年頃まで毎年数件が記事表題になっていた。(余談だが1975年が30件と、教育・地域関係の件で一番多い。) 終章では、「教授」の呼称と労働実態が合っていない状況を捉えて、大学教授を次のように表した。「大衆大学教授」「大学教授プロレタリアート」「プロフェッサリアート」「大学教育労働者」「大学教育プロレタリアート」。しかしもはやこの期に及んでは、著者が込めたルサンチマンはとっくになくなり、大学教員には字句のとおりの仕事が期待されているとしか思えない。

Posted byブクログ