半歩遅れの読書術(2) の商品レビュー
現在も日本経済新聞の土曜(かつては日曜だった)の読書欄に連載の続くエッセイ「半歩遅れの読書術」の、連載当初2000年4月~2005年3月分をまとめて出版した2冊の第2巻(副題「私が本当に伝えたいこの一冊」)である。 連載初期であるだけに、執筆陣は大変豪華である。長谷川眞理子、立花...
現在も日本経済新聞の土曜(かつては日曜だった)の読書欄に連載の続くエッセイ「半歩遅れの読書術」の、連載当初2000年4月~2005年3月分をまとめて出版した2冊の第2巻(副題「私が本当に伝えたいこの一冊」)である。 連載初期であるだけに、執筆陣は大変豪華である。長谷川眞理子、立花隆、野口悠紀雄、阿部謹也、蓮實重彦、山内昌之、猪口邦子、中谷巌、堺屋太一、リービ秀雄、田中直毅、榊原英資、丸谷才一、椎名誠、河合隼雄、田辺聖子、城山三郎、隈研吾、猪木武徳。。。 また、このエッセイの面白いところは、出版から半歩(1~2年)遅れることによって初めて読む価値の“分かる”本を紹介すると同時に、無類の本読みたちが、自らの読書に関わる信条やエピソードを披露してくれていることである。 私は、2005年の出版から4年ほどしてから古本で手に入れたが(既に絶版だったように思う)、それから10年を経て、今改めて読み返してみても、大変楽しめる内容である。 長谷川眞理子・・・この分だと、これから先の人生で読むペースをもっと速めていかないと、手に入れたものを死ぬまでにすべて楽しむことはできなくなるだろう。でも、それでもよいのだ。本には、そんな奇妙な魅力がある。もちろん、読むのもいいが、読まなくても、手に取って慈しみ、ぱらぱらとめくって拾い読みし、きちんと読んだあかつきには、また新しい世界が開けるだろうという予感を楽しむ、それもまたよい。」 猪木武徳・・・「怠け者のわたしは、寝ころんで本を読むことが多く、メモを取ったり、読書日記をつけることがない。本に直接N.B.(Nota Bene 注意せよ)と書き込むだけである。当時読んだ文庫本のオルテガは、一体どこが重要個所なのか分からなくなるくらい、傍線とN.B.で一杯になっている。」 中谷巌・・・「日本では一流大学を出たエリートが通勤電車の中で漫画を読んでいたり、時によってはあられもないピンナップの載った週刊誌を広げている大衆化された社会である。・・・「知的生活」とか「エリート教育」というものがどんなものなのか、日本人の多くは知らないのではないだろうか。ウェルナー・ハイゼンベルクの『部分と全体』は、現代日本という大衆化された「中間社会」に住む人間にとってはまさに清涼剤そのものである。この本の中では、本物の「知的エリートの生活」というものがそもそもどういうものかということが無意識のうちに見事に描かれているからである。大衆化されすぎた現代日本社会からつかの間でも逃れたくなった時には、ぜひ本書をひもとかれることを薦めたい。」 等々 こうした本を絶版にしないことこそ、本を愛するということだと思うのだが。。。 (2009年12月了)
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アメリカの大学でも書評に飛びつく学生たちが多いそうだ。だからNYタイムズの日曜版はかつては大学構内では盗まれたそうだ。今ではWebで無料で閲覧できるそうだ。村上春樹も人気があるようで日本が布教にあえいでいる中、日本文化もここまで来たのか、という感じで誇りに思う。
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