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哲学的人間学序説 の商品レビュー

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2025/01/30

ヤスパースやデカルト、フッサールなどの思想を批判的に検討することで、著者自身の考える身体的存在としての人間のありかたについての考察を展開している本です。 著者は、ヤスパースの「包括者」をめぐる思想の批判的検討を通じて、自己と他者をめぐるアンチノミーを明らかにします。自己にとって...

ヤスパースやデカルト、フッサールなどの思想を批判的に検討することで、著者自身の考える身体的存在としての人間のありかたについての考察を展開している本です。 著者は、ヤスパースの「包括者」をめぐる思想の批判的検討を通じて、自己と他者をめぐるアンチノミーを明らかにします。自己にとっての超越論的な次元を構成する包括者は、私を中心とすると同時に、それが超越論的な次元を構成している以上、他者を中心とすることをも認めなければなりません。このようなしかたで著者は、自己の外部にあり、自己の立場からそれについて問うことも不可能であるはずの他者にかんする問題を議論のうちに導入します。 その一方で著者は、サルトルが『嘔吐』のなかで印象的にえがき出した即自存在の世界を、いまだ本質規定をもたない「可能的存在の融合体」であり、「純粋な生の連続体」であるといいます。そのうえで、こうした即自的で連続的な世界において、アンチノミーを構成する自己と他者が身体的存在として受肉し、そのことが両者のかかわりを可能にしていることを解明するのが、本書のテーマです。 フッサールの後期思想では、世界を構成する超越論的意識の背後に前定立的で受動的な意識の働きについての思索が展開されていましたが、キネステーゼ的な身体が位置づけられる世界は、最初から他者のパースペクティヴをふくみ込んで成立していると著者は主張します。こうして、身体をもつ存在としてわれわれがそのうちに住まう前定立的な世界へ目が向けられ、その具体相について考察することで、自己と他者とのかかわりがどのようにして可能となるのかという問題が追求されます。 本書のテーマは、メルロ=ポンティが取り組んだ問題とかさなるところが多いのですが、前定立的な世界に住まう身体(Leib)と、延長的身体(Körper)の関係について、たんに後者を前者からの派生体とするのではなく、理性と構想力の本質的な関係にもとづいて理解しようとしているところに、著者の考察の独自性を認めることができるように思います。

Posted byブクログ