本田稔空戦記 の商品レビュー
太平洋戦争のトップエースの一人、本田稔氏の回想録。著者は本田氏に親しい岡野充俊氏。 本田氏は戦争を生き延び、航空自衛隊から三菱のテストパイロットになった。MU-2の試験飛行で胴体着陸をしたときはプロペラがちょうど三菱マークのように止まって破損を免れたという逸話がある。 まだ電...
太平洋戦争のトップエースの一人、本田稔氏の回想録。著者は本田氏に親しい岡野充俊氏。 本田氏は戦争を生き延び、航空自衛隊から三菱のテストパイロットになった。MU-2の試験飛行で胴体着陸をしたときはプロペラがちょうど三菱マークのように止まって破損を免れたという逸話がある。 まだ電子書籍になっていないので書店をいくつか回ったがなかなか見つからず、靖国神社遊就館の物販でようやく見つけた。 読んでみるとかなり濃密。昭和14年の予科練合格から昭和20年の敗戦まで6年ほど。大戦が始まってすぐに台南空に配属となり、以後終戦まで戦い続ける。その間撃墜機数70余機。文庫本で280ページもあるのにほぼダイジェストのようなハイペースの日々。 いくつかのエピソードからエースパイロットの資質が読み取れる。訓練生時代は射撃の的の吹き流しに接近しすぎてケーブルで片翼をもがれ、危険な状態で着陸帰還。普通は吹き流しにぶつかるほど近づけないし、損傷した機体で着陸もできない。 台南空では移動の途中で整備員と親しくなり飛行機の整備にも通じる。 ラバウルでは何か月も激戦を戦い、最後は盲腸から腹膜炎にいたってカビエンの病院に入院。手術の後抜糸されてすぐにB-17の空襲にあい、手近な零戦に乗って離陸。傷口が開いて腸がはみ出しながらもどうにか着陸して意識を失う。この恐るべき敢闘精神! B-17も撃墜に成功。 大戦中のエースはまさに超人列伝といった感があるが、本田氏もその一人。 終戦は343空がいた大村基地で迎える。源田実司令は8/19の22時に自決するから同意する者は集まれと告げる。本田氏も自決しようと担当と拳銃を持って司令のもとへ。そして自決の時刻になると、司令が「君たちの命を俺に預けてくれ。君たちにはまだやってもらいたい重大な仕事がある」と突然の自決中止と新たな任務の発生。 後に参議院議員になる源田実の人柄を表すエピソードだと思う。これも貴重な記録。
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零戦乗りの空戦記。 戦前・戦中の人の考え方から零戦乗りたちのリアルなやりとりが新鮮。 飛行機に乗るのが怖かった私が楽しく読めました。燃料タンクが炎上したり、機体に穴が開いたりしながら飛んでる人達がいたのに、整備万全な最新機に乗りながらビクビクしてる自分が恥ずかしなりました。 b...
零戦乗りの空戦記。 戦前・戦中の人の考え方から零戦乗りたちのリアルなやりとりが新鮮。 飛行機に乗るのが怖かった私が楽しく読めました。燃料タンクが炎上したり、機体に穴が開いたりしながら飛んでる人達がいたのに、整備万全な最新機に乗りながらビクビクしてる自分が恥ずかしなりました。 by マルコ 【https://note.com/marukogrampus】
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太平洋戦争勃発の頃、海軍の飛行機乗りとして実施部隊に配属された本田稔氏の大戦を通じた空戦記録。サイゴン、ボルネオ島、バンコク、ペナン島、ニューアイルランド島(ラバウル)、ブーゲンビル島(ブイン)などを転戦し、零戦で戦った。敵対した彼我の実力を冷静に分析されている。 初めて零戦を操縦し、着陸時に速度が落ちず10回やり直しをしたことが記されている。 内地に帰還後は零戦52型のテストをした後、大分空に教員として赴任、昭和20年には343空の一員となる。 戦闘機搭乗員でありながら、熾烈な戦争を生き延びた方には哲学がある。氏は戦後もパイロットとして活躍された。 「連綿と流れる民族の血と誇りは、我々日本人の心の座に、何らかの形で受け継がねばならない。」同感である。
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