ドイツ近世的権力と土地貴族 の商品レビュー
トクヴィルが『旧体制と大革命』で提起した、土地密着型のプロイセン貴族というイメージを出発点としながら、16世紀から18世紀にかけてのブランデンブルク=プロイセン国家の貴族権力のあり方を具体的に描き出す研究。主に君主権力の伸長に焦点を合わせてきた従来の国制史研究、プロイセンにおける...
トクヴィルが『旧体制と大革命』で提起した、土地密着型のプロイセン貴族というイメージを出発点としながら、16世紀から18世紀にかけてのブランデンブルク=プロイセン国家の貴族権力のあり方を具体的に描き出す研究。主に君主権力の伸長に焦点を合わせてきた従来の国制史研究、プロイセンにおけるグーツヘルシャフトの発展に焦点を合わせてきた経済史研究とはいささか異なる観点を採用している。そこから、16世紀においては城主=官職貴族が実力に裏打ちされた秩序形成機能を果たしていたが、三十年戦争以前にそれが失われた結果、三十年戦争において致命的な打撃を被ることになったという結論が出される。その後の農村社会の再建においては、宮廷貴族が新たに形成されたために城主=官職貴族という形の貴族権力は衰退するが、旧貴族は軍事制度に組み込まれることで、ブランデンブルク=プロイセンの国家権力と結合することになる。また、農場領主制と御領地財政の関係から、ブランデンブルク=プロイセンにおける御領地改革、税制改革が分析される。その中では、直接税であるコントリブチオンに焦点が当てられているが、これが有した意味が近世と19世紀では根本的に違っていたという点から、フーフェを課税単位とする税制から生産能力を課税単位とする税制改革に一定の評価が与えられることになる。最後は、18世紀後半、すなわちフリードリヒ大王治世からシュタイン・ハルデンベルク改革期ごろまでの貴族権力のあり方に関する見通しが述べられ、貴族権力が最終的に土地から遊離していったこと、しかしその中でも土地にこだわった「保守的な」貴族がいたことが指摘される。
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