世界文学を読みほどく の商品レビュー
おもしろかったー! 図書館で受け取ったとき分厚さに驚いたけど、無事読み終えることができた。 好みではないことに対する毒舌っぷりがすごく好きでした!
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池澤夏樹氏が京都大学で行った集中講義録。 作品の時代背景、場所、描かれ方などを学生に講義している。うんちくなど脱線話もあり面白く読みやすい。 自分はどれも読んだことが無いが、どれもちょと手ごわいなという感じがして正直、躊躇している。 取り上げられている作品は以下の通り、 スタン...
池澤夏樹氏が京都大学で行った集中講義録。 作品の時代背景、場所、描かれ方などを学生に講義している。うんちくなど脱線話もあり面白く読みやすい。 自分はどれも読んだことが無いが、どれもちょと手ごわいなという感じがして正直、躊躇している。 取り上げられている作品は以下の通り、 スタンダール パルムの僧院 トルストイ アンナ・カレーニナ ドストエフスキー カラマーゾフの兄弟 メルヴィル 白鯨 ジョイス ユリシーズ マン 魔の山 フォークナー アプロサム、アプロサム! トウェイン ハックルベリ・フィンの冒険 ガルシア・マルケス 百年の孤独 ピンチョン 競売ナンバー49の叫び
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2004年の論なので、9.11以降のところはすでに古くなってしまっているが、大きな物語を失った時代状況は変わっていない。 文学が向き合っているものが、現代世界の人間の状況であることを再認識した。 改めて骨太な文学に向き合おうと思わせてくれた池澤氏の講義に感謝したい。 『白鯨...
2004年の論なので、9.11以降のところはすでに古くなってしまっているが、大きな物語を失った時代状況は変わっていない。 文学が向き合っているものが、現代世界の人間の状況であることを再認識した。 改めて骨太な文学に向き合おうと思わせてくれた池澤氏の講義に感謝したい。 『白鯨』の現代的意義、ピンチョンの作品群の示唆にも感ずるところが多々あった。
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恥ずかしながら,この本で取り上げられた世界文学は,傑作だが難解という印象もあって,とっつきにくくて,読んだことがありませんでした。 この本では,そんな難解な世界文学の世界が,講義形式で非常に分かりやすく解説されており,自分で読む前にこの本に出会えてよかったと率直に思いました。 自...
恥ずかしながら,この本で取り上げられた世界文学は,傑作だが難解という印象もあって,とっつきにくくて,読んだことがありませんでした。 この本では,そんな難解な世界文学の世界が,講義形式で非常に分かりやすく解説されており,自分で読む前にこの本に出会えてよかったと率直に思いました。 自分で興味本位でこれら世界文学に挑戦したとしても,途中で挫折しているか,何とか読み終えたとしても字面をなぞるだけに終わったに違いありません。 小説を読む面白さを教えてくれるだけでなく,世界の見方に新しい視点も加えてくれる,おすすめの本です。
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とても面白かった。ここでテキストとして使われている作品の半分も読んでいなかったが、いくつかチャレンジ(いくつかは再チャレンジ)したいと思う。 スタンダールの「パルムの僧院」、どうしてもあの恋愛を基軸にバタバタしていることが自分には好きではなかった。けれども、スタンダールがどれだけ...
とても面白かった。ここでテキストとして使われている作品の半分も読んでいなかったが、いくつかチャレンジ(いくつかは再チャレンジ)したいと思う。 スタンダールの「パルムの僧院」、どうしてもあの恋愛を基軸にバタバタしていることが自分には好きではなかった。けれども、スタンダールがどれだけ登場人物を愛して魅力的に書き、祝福された小説になっているかの視点。 アンナ・カレーニナのメロドラマのようで、トルストイがいかに登場人物を神の視点から扱っていたのか。ドストエフスキーは、どの視点で物語を書いたのか。 「魔の山」は、当時のドイツから見たヨーロッパの縮図であり、EUに繋がって行き、ガルシア=マルケスのマジックリアリズムにいかに世界は驚愕したのか。 白鯨のディレクトリ制、フォークナーの小説の構成、ピンチョンの評価まで。 全編通して読むと、小説はいかに世界を捉えてきたか。そしてそれは、私たちの世界の捉え方の変遷でもあることがわかる。
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池澤夏樹が選んだ10の小説についての講義。 すでに読破したことのある作品でも、新たな視点から作品を見直すことができ、大変ためになった。
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作家池澤夏樹が2003年9月に京都大学文学部の学生を相手に行った夏期特殊講義の講義録である。七日間午前と午後に分けて計十四回の講義。採り上げた作品は自作『静かな大地』をのぞけば、スタンダールからピンチョンまで世界文学の傑作と呼ばれる十編。一回の講義で一作品を読んでいくというスタイ...
作家池澤夏樹が2003年9月に京都大学文学部の学生を相手に行った夏期特殊講義の講義録である。七日間午前と午後に分けて計十四回の講義。採り上げた作品は自作『静かな大地』をのぞけば、スタンダールからピンチョンまで世界文学の傑作と呼ばれる十編。一回の講義で一作品を読んでいくというスタイル。 一読後の印象は、京都大学文学部というから、さぞ難しいものになるのだろうという予想をくつがえし、一般教養的な誰にでも分かる言葉を使っての講義だったので拍子抜けした。現役の文学部の学生相手にこれくらいの内容だとすると、一般に文学を大学で学ぶというのがどれほど意味のあることなのかという疑問が浮かぶ。もっとも、芥川賞作家から直に世界文学についての講義を受けることができる機会というのは一般人にはなかなかないわけで、そういう意味では大学というところは特権的な場であると言えるかもしれない。 世界文学というと仰々しく聞こえるが、取り扱ったのがすべて小説であることからして、この講義は小説論を扱ったものである。小説の始まりは「神話」だとはよく言われることだが、作家はそれに「ゴシップ」を加えてもいい、と言う。講義の中でも採り上げている『ユリシーズ』が神話的な作品であるとしたら、今回は扱っていない『失われた時を求めて』が、ゴシップ的な小説である。今日、文学を語ろうと思ったら、必ず言及されるこの二作はその意味でも両翼を担っている訳だ。 カート・ヴォネガットの『スローターハウス5』の中に「人生について知るべきことは、すべてフョードル・ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中にある」という言葉があるそうだ。そしてその後に『だけどもう、それだけじゃ足りないんだ』と、つけ加えられる。現代の小説とは何を書こうとしたものなのか、それを読むことはどのような意味を持つのか、というのが講義の眼目らしい。 冒頭に読者と作者、登場人物の間に幸福な関係の成り立つ小説として『パルムの僧院』が挙げられている。これが始まり。次に来るのが『アンナ・カレーニナ』と『カラマーゾフの兄弟』。前者はメロドラマで大衆小説、後者はリアリズム小説と、作家の評価に温度差はあるが、いずれにせよスタンダールに比べると、二作とも今日的なテーマを持つ小説として現代でも通用する。 『白鯨』は発表当時、よく理解されたとは言えない。単純なストーリー展開とは別に、鯨についての百科事典風の知識を羅列的に書き並べたその作品の持つ構造が当時は理解されなかった。世界はツリー状の構造をなしているわけではなく、それぞれがばらばらに並置されているアト・ランダムな状態になっているというのは今日としては自然だが、当時としては先見的な解釈だったろう。読者の世界観と作品のそれに乖離が生じているのだ。 『ユリシーズ』を採り上げた講義では、様々な言語、文体を駆使することで、膨大な分量を持った世界をあれだけの長さに圧縮してみせた、小説における言葉の持つ力に言及する。また、『魔の山』では世界を考える上での西ヨーロッパという問題、『アブサロム、アブサロム!』ではアメリカ南部の抱える問題、『ハックルベリイ・フィンの冒険』ではアメリカ人の信じるイノセンスの問題と、採り上げる話題は変わるが、話題が文学以外のものに推移していくのが分かるだろう。『百年の孤独』では、ラテン・アメリカという「別世界」を、『競売ナンバー49の叫び』では、エントロピー論やアメリカという国に根強く蔓延る陰謀説を話題に上らせている。 「小説は、その時代、その国、その言葉の人々の世界観の一つの表現である」というのが作家の立てた仮説である。19世紀から20世紀後半までの十人の作家の作品からその変遷をたどってきたわけだが、きわめて常識的な説明に終始しているように感じた。むしろ、脱線したところ、たとえば、作家は自分の中の批評家を押さえつけなければ書けないという話の例に、批評家として優れた作家に丸谷才一を挙げ、だから十年に一度しか作品を書かないと言ったりするところに小説家としての実感が出ていて面白かった。政治的な発言もあるが、そのナイーブさから見て、若い読者向きと言えるだろう。
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本屋で見かけたとき「白鯨」を取り上げていたので、「白鯨」の読了後読もうと決めていた本。「白鯨」がなぜ名作かを説明するのはそれほど簡単ではないだろう。モームは鯨に関する詳細な記述はある種のパラノイアとみなしているようだ。著者は「書かれるのが早すぎたポストモダン小説」といい、百科事典...
本屋で見かけたとき「白鯨」を取り上げていたので、「白鯨」の読了後読もうと決めていた本。「白鯨」がなぜ名作かを説明するのはそれほど簡単ではないだろう。モームは鯨に関する詳細な記述はある種のパラノイアとみなしているようだ。著者は「書かれるのが早すぎたポストモダン小説」といい、百科事典的「データベース小説」という。「メルヴィルがこの小説で実証したかったことは世界はデータベースであるということ」という。なかなかの卓見。「データベースであるということは、全部を見なくていいということです」。なるほど。世界を羅列的に捉えることがメルヴィルの新しさであって、それは現在の世界観に近いのではないかと筆者は述べる。なかなか納得できる。 この本は、七日間の京都大学での集中講義を本にしたもので、計十四回の講義で自作を含めて11冊の本が論じられる。「小説は(作家の)世界観の表明であるが、その世界観がどのように変わってきたか」を視点にすえた上で、説明が展開されるので、文系の講義にしては論理的で、論旨をたどりやすい。もちろんもちろん彼自身が理系だから、科学からの例や比喩も登場する。筋書きの説明もとてもわかりやすい。これを最初に読んでおけばたとえば「カラマーゾフの兄弟」の大審問官の章も苦労せずに読めたのではないか。さらに小説を過去の作品として鑑賞するのではなく、現代の人間として読み、社会や政治などの現代の現実と向き合う姿勢も好ましいものだった。 覚えのために取り上げられた本を書いておく。「パルムの僧院」 「アンナ・カレーニナ」「カラマーゾフの兄弟」「白鯨」「ユリシーズ」「魔 の山」「アブロサム,アブロサム」「ハックルベリ・フィンの冒険」「百年の 孤独」「静かな大地(池澤作)」「競売ナンバー49のさけび」
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[関連リンク] 池澤夏樹が選ぶ世界文学10作品『世界文学を読みほどく』: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2014/02/10-f3fa.html
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非常に面白かった。小説を通して、社会というものを見る。いや、世界、と言った方がいいだろうか。羅列型の世界観のなかで、答えなんて存在しないことを知りながら、それでもなお各々が答えを探し続けなければならない。 実はこの本自体が、一人の人間による「偽物の、借り物の、まがい物の世界」...
非常に面白かった。小説を通して、社会というものを見る。いや、世界、と言った方がいいだろうか。羅列型の世界観のなかで、答えなんて存在しないことを知りながら、それでもなお各々が答えを探し続けなければならない。 実はこの本自体が、一人の人間による「偽物の、借り物の、まがい物の世界」でしかないわけですが、本の体裁そのものがその本の主張を表しているものとして、『世界は分けてもわからない』(福岡伸一、講談社現代新書)を思い出しました。これこそ、僕個人が勝手に縫い合わせているに過ぎないのですが。
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